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歴史上、戦術で戦略を突き崩した偉人って誰だ?「ハンニバル」「ベトナム戦争がまさにそうだな」

歴史

歴史(れきし、羅: historia)は、何かしらの事物が時間的に変遷したありさま[1]、あるいはそれに関する文書や記録のことをいう。

主に国家や文明など人間の社会を対象とする[2][3]。記述されたことを念頭に置いている。ヴィルヘルム・ヴィンデルバントの科学分類に拠れば、「自然科学が反復可能な一般的法則であるのに対し、歴史科学が対象とする歴史は反復が不可能である一回限りかつ個性を持つもの」と定義している[4]。また、現在に至る歴史を「来歴」と言う[5]。

(引用・出典:Wikipedia – 歴史

1: 2007/04/08(日) 21:57:00
戦略>戦術
だと思うが、逆をやってのけた偉人を晒してくれ。

190: 2011/06/06(月) 18:08:00.72
>>1
武田信玄の駿河侵攻

とうぜん甲相駿三国同盟崩壊

対抗で越相同盟成立

示威行動で小田原攻囲&三増峠の戦いで北条勢を粉砕

役に立たない越相同盟解消

駿河ゲット&甲相同盟締結

武力にモノをいわせてやりたい放題w
大義名分とか信義とかキニシナイ!カコイイ!!

3: 2007/04/08(日) 23:24:22
アレクサンドロスじゃない?
あとはチンギスハンとか?
コステロとかも?

あんまり浮かばないなあ・・・

日本だと義経かな

4: 2007/04/09(月) 02:29:27
官渡の戦において、局地戦の勝利を繋いで戦略的敗北を覆した曹操

5: 2007/04/11(水) 05:45:55
普通なら物理的に無理な気がする。
交通違反で道路交通法を変えようとするようなもんだし。
しかし機甲部隊や戦闘機みたいな革新的な兵器がでてきた状況がそうなのかな。

6: 2007/04/11(水) 13:48:38
フス戦争ぐらいだろ

7: 2007/04/11(水) 21:00:58
アムロ・レイ

11: 2007/04/14(土) 21:47:55
>>7
一年戦争は、ジオンは地球連邦の物量に負けたのであって、
アムロのおかげではない。
アニメで最強なのは宇宙戦艦ヤマトのクルー達だと思われる。
戦略も糞もない。戦艦一隻で何万光年も離れた
星間国家に勝利したしな。

8: 2007/04/13(金) 23:09:47
ハンニバル

9: 2007/04/14(土) 20:42:14
普通に桶狭間

12: 2007/04/14(土) 23:55:05
上杉謙信

13: 2007/04/15(日) 15:51:33
楠木正成たん

16: 2007/04/16(月) 08:36:44
そしてさらに下げ忘れた

19: 2007/04/16(月) 14:54:07
ガンダムは戦争をし過ぎだな。
もっと国力を貯めてから戦争をしろよ。ハマーンにしろシャアにしろ。

20: 2007/04/16(月) 16:59:02
貯める体力ないだろ>シャアジオン
戦艦六か七隻ぐらいしか持ってない、超のつく弱小国だから
隕石落としの奇策とファンネル使いで補ってる訳で
むしろシャアスゲーって感じだが
比べてデラーズはしょうもない

31: 2007/04/20(金) 07:55:57
昆陽で勝った光武帝

35: 2007/04/21(土) 19:53:54
圧倒的不利を克服したベトコンが最強。

39: 2007/04/22(日) 18:56:10
桶狭間が鉄砲数千丁ということは、信長軍のほぼ全員が鉄砲持ってた計算になるな

42: 2007/04/24(火) 00:10:02
長篠はそもそも数的優位も戦略的優位も信長にあったと思うが

43: 2007/04/24(火) 02:00:12
長篠は数と質をそろえた信長の戦略の勝利だね。

戦術でいえば、カルタゴのハンニバルのカンネーの戦いが有名だと思う。

あと、日露戦争の奉天会戦
日露戦争自体、日本のネバリ勝ちによるところが大きい。

49: 2007/04/26(木) 10:41:51
>>43
それも、戦術的勝利が戦略的勝利に繋がらなかった一例じゃないの。
ローマは一貫してシチリア方面でカルタゴの勢力を遮断し
補給を許さなかった、という戦略を変えなかったわけだし。

44: 2007/04/24(火) 02:34:41
ハンニバルをここのスレで登場させるならば
ティキヌスとトレビアの戦いを引き合いに出したほうがいいような

45: 2007/04/24(火) 23:29:27
ドイツ将校ですら関ヶ原の戦いは東軍が西軍に負けると予言してる
しかも ほぼ全ての人間がこの戦は長期間になると思っていた

それがたった1日の勝利がそのまま全体の勝利につながってしまった

46: 2007/04/24(火) 23:34:55
かなり狭義になるけど西陵の陸抗はどうよ
自分が強化した重要拠点に自分が入らない&政情不安で内部崩壊

47: 2007/04/24(火) 23:36:59
メッケルは布陣図見ただけで調略の様子とか個々の大名の立場とか
知らなかったんじゃね?

そもそもメッケルが本当にそんなこと言ったのか

48: 2007/04/25(水) 00:52:33
どうせ司馬遼太郎だろ

51: 2007/04/27(金) 23:10:30
織田信長の桶狭間の合戦だな・・・

戦略的には完全に負け戦だったのに
局地戦で偶然完全勝利を達成してしまった

53: 2007/04/28(土) 01:09:54
桶狭間は戦術で、今川の戦略くずしたかも

大将のクビとったら
情勢が変わったような話はあったような。

54: 2007/05/02(水) 02:22:06
大阪冬の陣も
実戦争では豊臣が優勢だったが、
大砲を打ち続けた家康が勝った。
南無阿弥陀仏

戦術よりも戦略だな。やっぱり。

55: 2007/05/02(水) 16:34:44
第二次ポエニ戦争は戦術的にはハンニバルに勝利を得られなかったローマが
戦略で勝利した 戦略>戦術 の好例だと思う。

これに対して1805年のナポレオンは対仏大同盟と言う戦略的不利を、
ウルムとアウステルリッツの二度にわたる戦術的勝利で覆した好例かな。

56: 2007/05/03(木) 00:43:50
この議論は二つの難しさがある
(1)勝利をどの時点で決めるかが難しい。
 戦術で一時期勝手も、戦略的に衰退する例が多い。
  ハンニバル

(2)戦術と戦略の境目が難しい
 単純なのは数
  数で負けたが、イクサで買った例は枚挙にいとまがない。
 しかし、数が少なくても勝てるような技を考える戦略を組織的に考えていたら、これは戦略か?

57: 2007/05/03(木) 01:35:19
国同士が抗争の末参ったって言わせる手段が戦略。
これには政治や外交手段も含まれることが多い。

WWⅡでドイツが編み出したブリッツクリークは戦略手段として考案されました。
実際、ポーランドやフランス戦では成功=戦略的手段として成り立ちましたが、
アフリカ戦や独ソ線では成功=戦略勝利には至っていません。

ブリッツクリークはこの時点で戦術手段に転落してしまうわけですね。

58: 2007/05/03(木) 08:46:52
すると浸透戦術も転落した戦術的手段?

59: 2007/05/03(木) 13:43:32
「戦術的勝利は戦略的勝利に優先する」
とナポレオンがほざきながら、
命令を無視して撤退を拒否し勝利を続けて
英雄になりましたとさ

60: 2007/05/03(木) 21:04:36
どんな戦争も戦略的要因があるから、
戦術で勝ったように見えても、
実は、こういう戦略があってね。
みたいな展開にならないとも限らない。

ナポレオンのアウステルリッツの戦いも、オーストリア・ロシア連合軍主力が兵力を結集しきる前に戦いを挑んだという、基本戦略がある。

大阪冬の陣の
真田幸村VS家康の戦いや、関が原の戦いは、
戦術の勝利よりも戦略の勝利が優先した典型かと思う。
こういうパターンは多い。

桶狭間は奇襲戦術で、今川の大軍をやぶったから、これは
戦略より戦術が優先したといえる。

あとは、日露戦争かなぁ。バルチック艦隊を破った日本海軍。
陸地でのねばり勝ち。
戦略的には日本軍が互角か、やや劣勢だったといえるかどうか。
ロシアに絶対に勝てると思った戦略があったかどうかは判定が難しい。

あと、赤壁の戦いは、どう分析する?

61: 2007/05/03(木) 21:50:15
ガトリング家老

62: 2007/05/03(木) 22:50:21
負けとる負けとる

63: 由田 ◆MAEDAxMYTY 2007/05/04(金) 00:15:19
関ヶ原の戦いはどうだろう。

64: 2007/05/04(金) 08:52:55
関ヶ原の戦いは
布陣は石田方の勝ち それまでの戦争では石田方が勝っていた。
 しかし、内通者つくったり、石田方の兵力を分散させた徳川の戦略勝ち。

65: 2007/05/04(金) 20:47:18
イラク戦争ではアメリカは戦術では成功したが
戦略は失敗だったな

66: 2007/05/05(土) 12:35:06
イラク戦争では
もっとも甘い見通しをした参謀の意見を採用していた。

67: 2007/05/05(土) 22:30:41
ラムズフェルドは戦う前から相手の事を侮ってたからなぁ。

68: 2007/05/05(土) 22:34:36
どちらかというと、敵の戦力を潰すって事と治安を維持するって事の区別が決定的についていなかった気がする。


69: 2007/05/05(土) 22:42:55
まぁ、所詮は馬謖。所詮は机上の空論であった。

70: 2007/05/05(土) 22:59:21
ヤン・ウェンリーは?

76: 2007/05/14(月) 22:43:26
>>70
イゼルローン攻略→アムリッツア→同盟衰退
逆に突き崩しちゃったのでは

71: 2007/05/06(日) 04:20:29
難しいね。

例えば「厳島の戦い」の毛利なんかも考えてみたが、劣勢を跳ね返したからと言って、戦術>戦略ではないと思うしね。
この場合、やはり毛利が戦略的にも上回っていたと思える。

72: 2007/05/06(日) 11:05:22
北条氏康の川越夜戦なんかは?

75: 2007/05/14(月) 01:45:36
ほしゅ

77: 2007/05/14(月) 22:56:43
圧倒的に不利な状況を切り抜けたという意味では七年戦争かな
戦術で突き崩したというか、時々負けながらも頑張ってたら外交状況が運良く好転した感じだが

78: 2007/05/14(月) 23:19:42
欧州では英国を味方につけると心強いなあ

80: 2007/05/19(土) 15:44:24
桶狭間では、義元の首級こそ挙げたものの、今川軍に巻き返されて信長軍は逃げ帰っている。
信長自身が討ち氏にする怖れも大きかった。
大将首を奪られたくらいでは怯まない、多弾頭化された今川家と所領に敵を引き込んだ織田家、
両家戦略は引き分け。わずかに信長の果断速攻が勝ち目を分けた。

長篠の合戦、三千丁の鉄砲の半分を武田支城の攻略に当てたため、馬柵前での武田軍壊滅ではなかった。
閑散とした戦場、当時の屏風画あり。支城陥落での戦意喪失。

上杉武田の諸衝突、戦国最大のヤラセとの説あり。謙信の一騎駆け、江戸時代に疑問の声上がる。

戦国英雄伝なるもの、後世サムライ政権と軍国主義の都合で、そーとー脚色されてるから
鵜呑みはキケン。

81: 2007/05/20(日) 00:03:31
分析、とてもおもしろく、読ませていただきました。
感謝します。

82: 2007/05/23(水) 05:10:44
戦術と戦略の定義ってハッキリと別れているの?

84: 2007/05/23(水) 15:34:50
>>82
分かれているかどうかは別にして
戦略は戦術よりも上位の概念である
とはいえるんじゃねーの。

まず、戦術決めてから戦略を考える
なんてことは無いわけだし。

85: 2007/05/23(水) 23:33:43
戦略でまけてたけど、

戦術で逃げるぐらいはできるだろうな。

織田の朝倉攻略のとき、


朝倉・浅井が連合して襲い掛かってきた。
これは戦略の失敗。

でも、秀吉のがんばりもあり、撤退に成功したね。

86: 2007/05/25(金) 12:55:45
戦術で戦略が負けたときは新しい戦略が生まれるときなんだろうな。

88: 2007/06/12(火) 22:39:37
戦略>>戦術の分かりやすい例として、川中島合戦第4回な

戦術で勝った謙信が前半押してたが、結局敗走してしまい北信濃攻略という
信玄の戦略勝ちに終わる。

逆に、戦術>>>戦略の分かりやすい例として、三方ヶ原合戦な

信玄来襲の際、家康と挟み撃ちにしようと考えた信長であったが
結局信玄の巧みな戦術によって家康はコテンパンにされ、信玄戦略
は失敗に終わるww

89: 2007/06/15(金) 21:10:59
戦略:格戦術を統一した目的と目標のために統合する総合的な計画
戦術:個別の戦闘における作戦

戦術が戦略より優位な場合とは、
絶対的不利を奇跡的勝利で切り抜けた場合とか
戦略的失敗で不利に陥ったのに、勝利した場合とか
戦略方針を無視して、戦闘を行い勝利し、
戦略そのものが戦術的勝利によって変更された場合とか
になるかと思いまするが、いかがなものでしょうか

91: 2007/06/21(木) 03:08:05
韓信と義経に一票ずつ。
戦略的不利を完全に覆したといえばこの二人が印象深い。

92: 2007/07/20(金) 17:27:17
まあどっちもだいじだよな

93: 久々 2007/08/04(土) 19:09:52
外出かな?上田籠城の真田幸村。
徳川家主導で関ヶ原に勝つつもりだった家康に、外様優位の領土配分を押し付けたね。

秀忠の四万が間に合わなかったため、豊臣家臣団に戦場を委ねるしかなかった。
福島加藤は断絶に追い込まれるものの、この戦略失敗は幕末まで後遺症となった。

94: 2007/08/04(土) 22:12:13
それ昌幸

95: 2007/08/04(土) 22:20:56
秀忠が遅れたのは雨で足止め食ったからという話もある

96: 2007/08/06(月) 00:12:47
畠山重忠

97: 2007/08/07(火) 23:28:02
川越野戦はむしろ戦略的事例だよな
「少数で大兵力を撃破する」という無理な戦術課題を達成しただけで。

基本は篭城の救出戦だもの。

99: 2008/01/08(火) 22:01:10
よーするに、小さな局地戦勝利で
戦略的不利を覆した人ってことかな?


101: 2008/01/14(月) 18:59:10
てか、戦術的に敗北したのに戦略的には勝利したって戦いを挙げた方が早いぜ。
近代以前ではこれはかなり珍しいよ。
川中島だって、武田方の戦略的勝利といわれるが、
土地は確保したけど幹部クラスがかなり戦死している。
当時の封建社会では、当主の死というのはその軍を著しく弱体化させる。
一方、幹部クラスの戦死が少なかった上杉は、元気に関東に出陣している。
果たしてこれを武田の戦略的勝利と呼べるかね。
局地戦ではところどころ負けたが最終的に勝ったとはまた違うからね。

102: 2008/01/14(月) 19:00:00
現代だって、戦術的には負けたのに、
戦略的には勝ってしまいましたってのは、
第一次大戦のイタリアとか、ほんの極わずか。

103: 2008/01/15(火) 04:43:23
日本じゃ孫子の影響かなんか知らんけど、戦略>戦術という認識が多すぎ。

欧州じゃクラウゼビッツしかりで、戦術>戦略じゃね?
アレキサンダーとかカエサルとかハンニバルとかナポレオンとかフリードリヒ大王とか、
全部傑出した戦術家って感じじゃん。

104: 2008/01/15(火) 11:16:38
ナポレオンはしばしば兵站を無視して行軍したし、
ハンニバルのアルプス超えなんて大量脱落者を生み出した無茶苦茶な戦略だし、
フリードリッヒ大王にいたっては、自ら敵だらけの、
戦略的には非常にマズイ状況を生み出してるよな。
本来、役割の違いでどちらが上位概念とかではないのだが、
戦略>戦術っていわれることが多いね。
思うに銀英伝の影響が直接でなくとも間接的に強いと思う。
まあ、銀英伝も孫子の影響を受けているから、
根源をたどればやはり孫子の影響なのかな。

105: 2008/01/18(金) 12:21:49
そこで神風ですよ。
戦略でも戦術でもボロ負け必須だったのに。
全てにおいて負けって状況がひっくり返った激レアケース。

111: 2008/02/20(水) 02:41:53
>>105
神風は関係ないよ。
モンゴル軍は戦闘でも日本軍にまったく歯が立たなかった。

106: 2008/01/18(金) 19:53:25
フリードリッヒ大王はエカテリーナの旦那(名前忘れた)がいなかったらどうなっていたやら。

107: 2008/01/19(土) 14:50:34
ミトコンドリアだな。
原始バクテリアに取り込まれたが、共生関係を持つことにより
地球生命のほとんど全てに子孫を遺し、宿主にとって必要欠くべからざる存在になった。

大古の戦術的勝利。

163: とびどぐもたないでください 2009/03/22(日) 03:31:32
>>107
それは戦術的ではなく戦略的勝利ではないか。
しかもミトコンドリアではなく、ミトコンドリアを取り込んだ嫌気性細菌の。
嫌気性細菌はミトコンドリアを取り込むことによって動物、さらには植物となり、地球上のありとあらゆる場所に進出することが可能になり、、、
ついには人類を生み出し、宇宙に飛び出した。
これはミトコンドリアを取り込んだ嫌気性細菌の戦略的勝利だろ。
ミトコンドリア目線はパラサイト・イヴの悪影響。

108: 2008/01/27(日) 23:03:10
オスマン帝国の第二次ウィーン包囲を打破ったロートリンゲンのカルル大公やポーランドのヤン・ソビエスキーは名将だけど。

109: 2008/02/19(火) 21:44:27
同名のカルルでも七年戦争のカルルは、、、

110: 2008/02/20(水) 01:00:18
日露戦争は違うの?

112: 2008/02/20(水) 10:12:43
関ヶ原に間に合わなかった秀忠。
実は、親父が敗走してくれることを望んだ、との説は
いけませぬか。

113: 2008/02/20(水) 15:22:38
>>112
関が原で家康が敗退、下手をして命を落とした場合
伊達・最上が裏切り上杉と組んで東北勢が関東を蹂躙
関が原で勝った西軍は濃尾平野から東海を制圧されると予想される

そんな中で信濃の山奥に残った秀忠は何を目論んでたのか…

続きどうぞー♪

114: 2008/02/20(水) 21:20:15
上杉は伊達と組むはありえるが、
そのまま飛び地併合で最上瀕死、そのまま越後まで制圧。

115: 2008/02/21(木) 22:42:38
秀忠すら、大会戦により一気に勝敗がつけられる、
とは想像すらしていなかったと考える。
家康の懐刀の本田軍師もだ。
おそらく濃尾平野での東西の対峙、局地戦での睨みあい。
まあ、せっかちの三成が、すべてをぶち壊した、とも。
それを上回った謀略、政略家の家康が一枚役者が上かも。


118: 2008/02/24(日) 11:03:18
>>115
>秀忠すら、大会戦により一気に勝敗がつけられる、
>とは想像すらしていなかったと考える。
基本的に禿同。そしてこれは家康も同様。

秀忠の不手際がなかったとは言えないが、3万8千の
徳川主力を温存しておくというのは関ヶ原が不調に
終わった場合の「保険」。
保険だから使わずに済めばそれに越したことはない。
それにこれは、関ヶ原が勝利に終わった場合でも、
まったく消耗していない主力が残っているのは、
関ヶ原に参加していない全国の勢力に対する睨みに
もなる。
ただ、家康も安全策ばかり考えていた訳ではなく
関ヶ原では調略していたとは言え背後に吉川や毛利
が布陣している桃配山に本陣を構え、いくさの後半
では山を降りて更に前進している。
(これがなかったら小早川が動いたかどうか疑問)
いざという際の保険と、いざという時に勝負をかける
両方の采配が出来る器量が、徳川家康が天下を手中に
した要因だろうね。

119: 2008/02/24(日) 11:12:51
>>117
>>115で書いたことにもつながるけど、
戦略と戦術は連動していることが重要。
戦術なき戦略は机上の空論。戦術だけで戦略がなければ
行き当たりばったりで先が読めない。
しかし、この連動を最後まで続けるのはかなり困難な
こともまた事実で、最終的な勝利者以外はどこかでその
連動が崩れている。
信長は戦略と戦術をうまく連動させてきてはいるが、
かなりタイトロープだったのも事実で、本能寺はそれが
崩れたことを示すものだと考えられるね。

116: 2008/02/22(金) 23:47:28
秀忠は、我が子国松より、家康の子供、竹知代が跡取りになる、
これを知ったのは、後日の話か。
本多さんは、やはり宗教がらみで、家康嫌いが本音。

117: 2008/02/24(日) 10:48:44
織田信長って戦略派?戦術派?

121: 2008/02/29(金) 12:44:50
羽柴秀吉が、上杉謙信を恐れる信長を尻目に
北陸道を小当たりにして退きながら、
近江平野で決選を主張した慧眼は、すごいと思う。
卓抜した戦略眼。やはり謙信を「田舎武将」扱いする
秀吉の凄味が際立ちますが、さて、こんな秀吉を、謙信はいかに
戦術で突破していきますやら。
誰か考えてみてぇ。

122: 2008/02/29(金) 17:48:26
そんな話あったっけ? 

ってか謙信は相手に小当たりに退かれながら、ジリジリ攻めていくなんて戦術や
戦略は取らないんじゃね? 基本電撃戦から相手を自分の動きに合わさせる、
主導権を絶対に手放さないで機動打撃に持ち込むってパターンだから、
秀吉の偽退に引っ掛かってジリジリと釣り込まれて近江平野で包囲なんてされる
くらいの戦術眼だったら、信玄の包囲戦略・戦術に軽く撃破されてると思うよ。

秀吉の凄みは、外交と物量戦・城攻めじゃない?
小牧・長久手では内線作戦から家康に各個撃破されてたけど、謙信の軍隊は
機動性でも打撃力でも家康軍より数段上だと思うよ。

123: 2008/02/29(金) 18:15:38
戦術的な駆け引きは別として
織田領を蹂躙するなら近江は避けて通れないでしょ

124: 2008/02/29(金) 18:46:07
まともな野戦も無しに近江まで下がるなんて戦略は、織田軍のイメージ丸下がりで
上杉軍の勢いつけるだけじゃないかね。
国人離れに繋がるし、敵対勢力も勢いにのるだけな気がするが。

125: 2008/03/04(火) 10:06:11
だね。当時の封建社会で、首都近辺まで引き込んでの会戦なんて自殺行為。
そんなに押し込まれたら寝返り続出だよ。
実際、秀吉はそれやって信長からめっちゃ怒られたわけで。
縦深防御なんて高等戦略ができるようになるのは、
国家が一つにまとまった近代以降でしょう。

126: 2008/03/04(火) 12:51:44
でも実際、謙信が存命していたら
北陸路を突き進んで近江には来てただろうな

127: 2008/03/05(水) 07:04:58
中世以前でも縦深防御の例は多数ある。
ただ、多くの場合人口疎密地帯であって、
北陸時から人口集密地帯である近江の場合、
進撃すればするほど補給が楽になるわけで。
縦深防御の意味があまりない。
なんで秀吉は近江に引き込む事を主張したのかわからん。
単に勝家と喧嘩したかっただけの気がする。

128: 2008/03/05(水) 09:08:00
秀吉としては長浜場を軸に謙信と一戦交えたかったんじゃね?
具体的な戦術よりもまず目立つことに大事を置いていた希ガス

129: 2008/03/07(金) 18:19:25
琵琶湖を中心とした湖上貿易圏をがんばって作り上げてきたのが、信長・秀吉じゃないの?

それをわざわざ近江まで上杉軍引き込むなんて、経済圏の安定に甚大な影響あるでしょ。
経済発展の第一は防衛・治安の安定なんだし。
聡明な秀吉がマジでそんなこと言ったのか? 原典は何?

130: 2008/03/08(土) 23:43:58
つかさ、上杉は近江に行ったりしないと思うよ。
上杉軍の強みは日本海貿易を支配し補給が楽な日本海側を西進し因幡~但馬まで進出してくる毛利軍との合流を目指し敦賀に守備兵力を残して守りを固めつつ
一向衆・旧朝倉・旧武田・旧浅井・旧六角の蜂起で織田軍を牽制しつつ若狭→丹後で明智・細川軍を毛利と挟撃大破→将軍を擁して上洛し本願寺救援だろう。
下手に近江へ侵攻したら織田軍に包囲を受ける危険があるし…まぁ武田が美濃に軍事的圧力をかけまくってくれたなら北近江へ進出する選択肢も生まれようが。
基本は毛利か武田との合流し織田挟撃を目指す戦略でいかないと。

131: 2008/03/09(日) 11:56:15
>上杉軍の強みは日本海貿易を支配し
織田攻略に背後に支配欲があったと?
謙信が本願寺救援ていう理屈も詳しく

132: 2008/04/13(日) 20:57:47
鳥羽伏見の戦いは?

133: 2008/04/13(日) 22:53:24
小早川秀秋
鳥羽伏見の藤堂

134: 2008/09/12(金) 16:27:20
例えばハンニバルは最終的に敗れたが、それを戦略に敗れたとは言いたくないんだよな。
戦術的に大敗しまくって、最終的に持久戦とっただけなのを戦略の勝利とかいうのは
如何なものかと。
ハンニバルは戦術で大国を打破できなかったなら分かるんだけど。

135: 2008/09/14(日) 02:55:51
ハンニバルは戦略で負けただろ?
ハンニバルは同盟都市の謀反を促しローマを弱体化させてから倒す、という持久戦をとる。
対するファビウスは、地中海はローマが支配しており、ハンニバルには本国からの補給・連絡が無い点に着眼した戦わずに逃げる持久戦をとった。
快進撃を続けるカルタゴ軍に、逃げてばかりの持久戦にしびれを切らしたウァロがカンナエで戦いを挑むもローマ兵7万を全滅させてしまう。
一方のハンニバルはそのままローマに攻め込まず、マハルバルに『あなたは勝ち方は知ってるが勝利の活かし方を知らない』と名言を言わしめる。くらいの戦略性の無さ。
ここでローマに攻め込んでたら・・・
とまぁ、ザマで最終的には負けた訳だが、ハンニバルの包囲殲滅術に多部族からなる軍隊の統率力はまさに史上最高の戦術家であると思うが、
戦術が戦略に破れた典型でもあるだろう。

137: 2008/09/14(日) 12:38:22
>>135
そんな戦略誰でも取れるでしょ。制海権から兵から金からすべて備えてるんだから。
しかも4回も大会戦で敗れて精兵10万以上失っても、まだ余裕でそっから戦略転換しても
間に合うくらいの大国なんだから、戦略に敗れたとか言われてもピンとこないよ。

ローマ陥落に関しては副将の言のが、ハンニバルの判断より正しいとは思わんけどな。
そんなこと100も承知でしょさすがに。敵側の首都を落とすことが勝利の条件でもないし。
ってか攻城兵器も持ってなかったし、落とせないんじゃね?
だから、戦略に敗れたとかいうより大国に勝てないとかにしたほうがいいんじゃないこれ。
4回もボコボコにされて、再度カンナエで決戦という戦略的方針のミスして、それでも
戦略で勝ったとか言われてもと思うのよ。
だからこのローマ対ハンニバルで戦略>戦術だとかは全然思えない。
ってかこれは凄い戦略だってが知りたい。 小国がたいした野戦もせずに大国打破した
例とかね。

138: 2008/09/14(日) 15:35:08
>>137
> そんな戦略誰でも取れるでしょ。制海権から兵から金からすべて備えてるんだから。
制海権・兵・金=戦略
ハンニバルは誰でもとれる戦略に負けた

糸冬

136: 2008/09/14(日) 03:22:20
追加するとチンギス=ハーンを初めとするモンゴル帝国こそ、戦術で戦略をぶち壊した典型だと思う。
モンゴルの弓騎兵はハンニバルの戦術、まさに包囲殲滅術。
機動力を生かして何倍、何十倍もの数の敵を囲んで一斉掃射で皆殺しにするという残酷な戦い方だが、まさに戦術で戦略を破る典型じゃないだろうか。

139: 2008/09/14(日) 16:49:14
だから大国に敗れただけってことでしょ。
別にハンニバルが凄いとか凄くないとか言いたいわけじゃなくて、
これって大国>戦術なわけ。

ハンニバルがローマ側なら決戦でも持久戦でもどんな戦略でもOKなわけよ。
よって戦略が戦術より上位であるという根拠はどこから来てる?と疑問に
思ったんです。
例えばハンニバルとローマくらい経済格差があって、さほど野戦もせずに
戦略的にひっくり返したって例はあるのかな?
たぶんあると思うんで、詳しい人がいたら教えてほしいと思いました。
すみません。


140: 2008/09/14(日) 18:04:02
>>139
歴史認識が間違ってる。カルタゴはローマに匹敵する大国。もう一度調べ直せ

後、何を言ってるか分からん。日本語で(ry

141: 2008/09/14(日) 18:23:03
ベトナム

145: 2008/09/14(日) 21:22:17
天才だって不死身じゃないし複数いないし
居るあいだは戦わないとか、居ないところをネチネチ攻めるとかも立派な戦略なのでは?

148: 2008/09/14(日) 22:06:31
戦略っていうのは、戦術上で勝てる状況をいかに整えるかって側面もあるからね。
同じような前提条件って考えても意味がないかと思う。
国力が拮抗してれば戦争自体も起こりづらい気がするし。

149: 2008/09/15(月) 02:09:28
現代でも米露中のバランス崩れるとロシアや中国はすぐ暴れ出して情勢不安定にするからね

軍事バランスの維持も重要な戦略の一つと考えられる

150: 2008/09/15(月) 10:25:36
つまり政略と戦術の狭間の段階が戦略?

152: 2008/09/15(月) 16:46:11
でもどういう風に軍隊をぶつけるかとか、いわゆる戦術の一環な気もするよな。
戦略と戦術って明確に区別すべきものかな?

クラウゼビッツとかは区別してたけど、リデルハート?とかは区別すべきもん
じゃないとか言ってた気が。
結構むつかしい問題だよな。

157: 2008/09/16(火) 01:39:45
まぁ、戦略の定義が広すぎるのに納得できないのは分かるけど
>>152にもあるけど多分リデルの書いた戦略論のことかな?読むといい

戦術は軍。敵の兵力を潰して勝つ方法。
戦略は国。戦わずして勝つ方法。
孫子も相手の十倍の兵力を用意して威嚇するのが一番。相手を戦わずして降伏させるべしってたしか言ってたはず。
戦術に優れている国と戦略に優れている国とじゃ後者の方が安定感は段違い。
例えばWW1WW2のドイツは戦術派でイギリスは戦略派。

153: 2008/09/15(月) 18:31:04
ああ、そうか。
外交戦略ってやつだ。

154: 2008/09/15(月) 21:08:18
外交と戦略は別もんでしょ。
全然必要とされる能力が違うよ。

155: 2008/09/15(月) 21:31:45
戦略があって外交もその目的に沿って展開されるものでは?
戦略って国家なりが目指す大方針みたいなもの?

165: 2009/03/27(金) 00:03:08
アレクサンドロスはメムノン生きてたらここで名前すら挙がらなかったろうな

172: 2009/08/31(月) 17:44:48
>>165
メムノンは陸戦だと悉くアレクサンドロスに負けてるから
ギリシャに攻め込んでマケドニア軍を引き戻したとしても
ろくに支援勢力もなく拠点もない状態で
アレクサンドロスに野戦で粉砕されて終わりな気もする
その後アレクサンドロスは東方遠征を再開、と

173: 2009/09/01(火) 07:44:10
丹生島城の戦いの大友宗隣は?
島津に圧倒され滅亡寸前だったが、国崩しという大砲を乱射して
島津勢を撃退、豊臣秀吉の援軍到着まで生き延びた。

174: 2009/09/01(火) 07:48:50
朝鮮征伐の李舜臣

175: 2009/09/01(火) 07:55:08
関ヶ原前哨戦の福島正則達。
濃尾方面は西軍の方が多かったのにもかかわらず、
伊勢で西軍が手間取っている間に反撃に出て、
岐阜城他数ヶ城を調略、強攻を交えて制圧し戦局を逆転した。

176: 2009/09/01(火) 08:23:31
国教内戦での古寧頭の戦い の根本博中将。
台湾へ敗走した中華民国を滅ぼすべく台湾侵攻を画策した中華人民共和国軍に対して、
半数以下の兵力で撃滅。台湾の独立を守った。

177: 2010/01/31(日) 09:27:28
桶狭間の戦いでの織田信長。
彼は戦術で今川義元を倒し、結果、今川を京に上げなかった。

188: 2011/01/29(土) 20:37:47
>>177
あれは単なる本陣を先陣と勘違いした末に偶然が重なっただけのラッキーパンチだろ
桶狭間の実態なんざとっくに知れ渡ってると思ったがな

178: 2010/04/21(水) 04:57:30
数で圧倒する朝廷軍の東北侵攻を30年以上耐え続けたアテルイ軍

179: 2010/05/30(日) 04:35:02
そういえば西洋は近代以前の戦いも軍事学的に見る本があるけど
日本の戦国期以前をそういった軍事学的な視点から見た本ってある?
いやま、すごいよ信長、秀吉とかはあるけどさそういうのと視点が違うので

180: 2010/07/30(金) 21:55:45
強いいてあげるなら壬申の乱か?

183: 2011/01/18(火) 19:20:42
一の谷も壇ノ浦も源氏の方が兵力が多い。
義経が寡兵で戦ったのは屋島だけだが、平氏側の
主力部隊は当時、源氏主力との戦闘に行っていて
留守部隊だけだった。
義経は戦略的に有利な戦いしかしていない。

184: 2011/01/19(水) 02:21:04
>>183
それがもう戦術レベルの話なんじゃない?
一の谷は守備に強いし京の情勢も伺いつつ攻め込める位置にある
その上瀬戸内を地盤に勢力を盛り返していたし、
事実兵力の上回る源氏方の攻撃に互角以上の防戦をした
そのまま長引けば源氏の方が撤退せざるを得なかったと思う
この状況を作り出すまでが平氏の「戦略」
ガラ空きの本陣に後ろからぶっこんだ義経の戦いは「戦術」レベルを出ない

191: 2011/06/06(月) 19:44:49.95
ベルサリウスは、将軍としては戦略・戦術ともに優秀に思えるなぁ。
ササン朝のホスローとの戦いでは、相手に弱み(補給とエフタル)を想起させ会戦なしで撤退させる。
ヴァンダルや東ゴートに対しては、寡兵ながら戦術上の勝利を積み重ねることで相手を凌駕する。
政治能力の不足が足ひっぱって東ゴートを制圧しきれなかったのは、軍人の限界でもあるが。

194: 2011/07/07(木) 13:45:23.22
第二次長州征伐は大村と高杉の戦術による勝利?
桂の外交による戦略的勝利?

209: 2013/05/24(金) 16:35:18.78
幕末、新政府側にはちゃんと戦略あっただろ?
それになんで戦略の父と言われるハンニバルがあげられて誰も突っ込まないのかが謎
兵力差ひっくり返した戦闘なんていくらでもあるじゃん、それをここでは戦術で戦略をひっくり返したっていってるの?
クラウゼヴィッツがいっているように戦略は物量の計測だけではなく、目標に向けて戦闘を秩序だてて行う技術のことでしょ

210: 2013/07/14(日) NY:AN:NY.AN
桶狭間・・・信長記では
沓掛の峠の松の元に二階三階の楠、雨に東へ降り倒れる。
余の事に、熱田大明神の神軍なり、と申し候なり。

分析すると、

信長軍は、沓掛の峠に布陣しているはずの今川軍哨戒部隊を蹴散らし、
後方霍乱を行うつもりであったが、彼らは大嵐を避ける為、
沓掛城に緊急撤収してしまっていたので、今川軍陣地に散乱していた
白旗を拾い集めて掲げ、自軍の赤旗は丸めて隠し、
奥三河方面からの後詰め部隊を偽装して今川義元本陣に接近、
本陣脇の太子ケ根にそれらしく布陣した。・・・

ということになる。

211: 2017/08/12(土) 20:27:40.31
この手の話題はヤン・ウェンリーに帰結する

(出典元:http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/nanminhis/1176037020/)

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