歴史上、戦術で戦略を突き崩した偉人って誰だ?「ハンニバル」「ベトナム戦争がまさにそうだな」 2ch反応まとめ
2ちゃんねるまとめっと座禅 / エンタメと趣味 / 世界史 / 学問 / 日本史 / 歴史 / 民族学 / 現代史 / 軍事 / 雑談スレまとめ
歴史
歴史(れきし、羅: historia)は、何かしらの事物が時間的に変遷したありさま[1]、あるいはそれに関する文書や記録のことをいう。
主に国家や文明など人間の社会を対象とする[2][3]。記述されたことを念頭に置いている。ヴィルヘルム・ヴィンデルバントの科学分類に拠れば、「自然科学が反復可能な一般的法則であるのに対し、歴史科学が対象とする歴史は反復が不可能である一回限りかつ個性を持つもの」と定義している[4]。また、現在に至る歴史を「来歴」と言う[5]。
引用・出典:
Wikipedia – 歴史
だと思うが、逆をやってのけた偉人を晒してくれ。
武田信玄の駿河侵攻
↓
とうぜん甲相駿三国同盟崩壊
↓
対抗で越相同盟成立
↓
示威行動で小田原攻囲&三増峠の戦いで北条勢を粉砕
↓
役に立たない越相同盟解消
↓
駿河ゲット&甲相同盟締結
武力にモノをいわせてやりたい放題w
大義名分とか信義とかキニシナイ!カコイイ!!
あとはチンギスハンとか?
コステロとかも?
あんまり浮かばないなあ・・・
日本だと義経かな
交通違反で道路交通法を変えようとするようなもんだし。
しかし機甲部隊や戦闘機みたいな革新的な兵器がでてきた状況がそうなのかな。
一年戦争は、ジオンは地球連邦の物量に負けたのであって、
アムロのおかげではない。
アニメで最強なのは宇宙戦艦ヤマトのクルー達だと思われる。
戦略も糞もない。戦艦一隻で何万光年も離れた
星間国家に勝利したしな。
もっと国力を貯めてから戦争をしろよ。ハマーンにしろシャアにしろ。
戦艦六か七隻ぐらいしか持ってない、超のつく弱小国だから
隕石落としの奇策とファンネル使いで補ってる訳で
むしろシャアスゲーって感じだが
比べてデラーズはしょうもない
戦術でいえば、カルタゴのハンニバルのカンネーの戦いが有名だと思う。
あと、日露戦争の奉天会戦
日露戦争自体、日本のネバリ勝ちによるところが大きい。
それも、戦術的勝利が戦略的勝利に繋がらなかった一例じゃないの。
ローマは一貫してシチリア方面でカルタゴの勢力を遮断し
補給を許さなかった、という戦略を変えなかったわけだし。
ティキヌスとトレビアの戦いを引き合いに出したほうがいいような
しかも ほぼ全ての人間がこの戦は長期間になると思っていた
それがたった1日の勝利がそのまま全体の勝利につながってしまった
自分が強化した重要拠点に自分が入らない&政情不安で内部崩壊
知らなかったんじゃね?
そもそもメッケルが本当にそんなこと言ったのか
戦略的には完全に負け戦だったのに
局地戦で偶然完全勝利を達成してしまった
大将のクビとったら
情勢が変わったような話はあったような。
実戦争では豊臣が優勢だったが、
大砲を打ち続けた家康が勝った。
南無阿弥陀仏
戦術よりも戦略だな。やっぱり。
戦略で勝利した 戦略>戦術 の好例だと思う。
これに対して1805年のナポレオンは対仏大同盟と言う戦略的不利を、
ウルムとアウステルリッツの二度にわたる戦術的勝利で覆した好例かな。
(1)勝利をどの時点で決めるかが難しい。
戦術で一時期勝手も、戦略的に衰退する例が多い。
ハンニバル
(2)戦術と戦略の境目が難しい
単純なのは数
数で負けたが、イクサで買った例は枚挙にいとまがない。
しかし、数が少なくても勝てるような技を考える戦略を組織的に考えていたら、これは戦略か?
これには政治や外交手段も含まれることが多い。
WWⅡでドイツが編み出したブリッツクリークは戦略手段として考案されました。
実際、ポーランドやフランス戦では成功=戦略的手段として成り立ちましたが、
アフリカ戦や独ソ線では成功=戦略勝利には至っていません。
ブリッツクリークはこの時点で戦術手段に転落してしまうわけですね。
とナポレオンがほざきながら、
命令を無視して撤退を拒否し勝利を続けて
英雄になりましたとさ
戦術で勝ったように見えても、
実は、こういう戦略があってね。
みたいな展開にならないとも限らない。
ナポレオンのアウステルリッツの戦いも、オーストリア・ロシア連合軍主力が兵力を結集しきる前に戦いを挑んだという、基本戦略がある。
大阪冬の陣の
真田幸村VS家康の戦いや、関が原の戦いは、
戦術の勝利よりも戦略の勝利が優先した典型かと思う。
こういうパターンは多い。
桶狭間は奇襲戦術で、今川の大軍をやぶったから、これは
戦略より戦術が優先したといえる。
あとは、日露戦争かなぁ。バルチック艦隊を破った日本海軍。
陸地でのねばり勝ち。
戦略的には日本軍が互角か、やや劣勢だったといえるかどうか。
ロシアに絶対に勝てると思った戦略があったかどうかは判定が難しい。
あと、赤壁の戦いは、どう分析する?
布陣は石田方の勝ち それまでの戦争では石田方が勝っていた。
しかし、内通者つくったり、石田方の兵力を分散させた徳川の戦略勝ち。
戦略は失敗だったな
もっとも甘い見通しをした参謀の意見を採用していた。
イゼルローン攻略→アムリッツア→同盟衰退
逆に突き崩しちゃったのでは
例えば「厳島の戦い」の毛利なんかも考えてみたが、劣勢を跳ね返したからと言って、戦術>戦略ではないと思うしね。
この場合、やはり毛利が戦略的にも上回っていたと思える。
戦術で突き崩したというか、時々負けながらも頑張ってたら外交状況が運良く好転した感じだが
信長自身が討ち氏にする怖れも大きかった。
大将首を奪られたくらいでは怯まない、多弾頭化された今川家と所領に敵を引き込んだ織田家、
両家戦略は引き分け。わずかに信長の果断速攻が勝ち目を分けた。
長篠の合戦、三千丁の鉄砲の半分を武田支城の攻略に当てたため、馬柵前での武田軍壊滅ではなかった。
閑散とした戦場、当時の屏風画あり。支城陥落での戦意喪失。
上杉武田の諸衝突、戦国最大のヤラセとの説あり。謙信の一騎駆け、江戸時代に疑問の声上がる。
戦国英雄伝なるもの、後世サムライ政権と軍国主義の都合で、そーとー脚色されてるから
鵜呑みはキケン。
感謝します。