日本国はいつ誕生したのか?卑弥呼と邪馬台国の統治「近畿説がマジなら西日本を統一してたことになるな」 2ch反応まとめ
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邪馬台国
邪馬台国(やまたいこく / やまとこく)は、2世紀~3世紀に日本列島に存在したとされる国(くに)のひとつ。邪馬台国は倭女王卑弥呼の宮室があった女王国であり、倭国連合の都があったと解されている。古くから大和国(やまとこく)の音訳として認知されていたが[注釈 1]、江戸時代に新井白石が通詞今村英生の発音する当時の中国語に基づき音読した[注釈 2]、ことから(やまたいこく)の読み方が広まった。邪馬台国の所在地が九州か近畿かは、21世紀に入っても議論が続いている。
引用・出典:
Wikipedia – 邪馬台国
日本国はいつ誕生したのか 天皇制につながる卑弥呼の統治
日本という国はいつ誕生したのか-。このテーマの議論は、研究者の間では「七五三論争」と呼ばれている。
「邪馬台国の女王、卑弥呼が統治した「3世紀」か、仁徳天皇ら倭の五王による巨大前方後円墳が築かれた「5世紀」、
そして天皇制が確立したとされる飛鳥時代の「7世紀」かで議論が分かれているからだ。
国内初の本格的な都、藤原宮(奈良県橿原市)や大宝律令という法律が整備された7世紀こそ「日本国成立」ともいわれるが、 邪馬台国の時代にはすでに女王が国を治め、中国王朝と外交関係を築き、国家といえる形が整っていた。(小畑三秋)
■「女王の都するところ」
「飛鳥時代が国家の始まりともいわれるが、決してそうではない。日本国がいきなりできたのではなく、 卑弥呼の時代には原型ができていた」と指摘するのが、纒向(まきむく)学研究センターの寺沢薫所長だ。
魏志倭人伝は、卑弥呼のいた場所についてこう記している。 「卑弥呼は邪馬台国の女王とよく言われるが、そうではない。邪馬台国を含む倭国全体の女王。居住していたのが邪馬台国」と寺沢さん。
http://www.sankei.com/west/news/180324/wst1803240002-n2.html
ウサツヒメ・ウサツヒコやな
元々大倭だったんだろうが、邪馬台を滅ぼした大倭が頂きましたとアピールしてるようなもんだしな
邪馬台国を滅ぼしたのは近畿日本。
そう思うわ。
共通の敵でも無ければ豪族同士が大和の様な連合国など作れないだろうしな
仁徳天皇陵が卑弥呼の墓ってことはないの?
御井の祇園山古墳のことな。
その新羅を滅ぼしたシ歳よりは古い。
多婆那国は山口の土居が浜ですよ、多々良国
日本が何処から出てきたのか不明
アイヤッパン
事代主の国譲りにおける一本締め
倭が雅(みやび)で無いから。
日が昇る本として日本と名乗った。
なぜ日が昇る本なのか意味不明
大陸より日本列島は東にあるから
大陸よりも先に日が昇る
うちが先や!って意味で日の本の国
日本の東から来る人がいないので、一番東という認識もあったのだろう
日+本=東
なるほどと思ったけど横棒一本おおくね?
日本を中心とするなら、太陽は太平洋の彼方から出るので「日ノ本」とは言わないはず。
中国から見ると、なるほど日本から太陽が出るように見える。
つまり、「日本」という名は、中国を中心にして初めて呼べる国名なのだ。
日本は自ら中国を中心と考えていたのだ。
意味合い的には火の元なんだよ
火山国だからなあ
日の本(ひのもと) だと思う
マロンおいしいよな。
明確に日本は日本となったのは飛鳥時代からだろう
まぁ記録上では7世紀になるんだろうが
大和王権は意図的に九州王朝の存在を消し去ったから3世紀か6世紀の記録は今後も出て来ないだろうな
歴代天皇も信長もびっくりだぜ
お前はおちけつ
邪馬台国畿内説ってのはそういうことだろう
西日本はほぼ統一されてたって見解
これが関東説東北説になると違う
ダメ。
昔から今に至るまで変わらん、日本人はスグ、喧嘩したり、争ったりしやすく、戦争にもなるけど、
逆に、いつまでも恨みに思ったりせず、敵でも死者が出たら、鎮魂する為の神社を祀る。
和が一番だねという価値観なんだそうだ。
つまり、逆に言えば戦乱を沢山経験しなきゃ、大いなる和って意味は生まれない。
・ヤマト王権が倭の別称を捨てたかったから
・和という名のファシズム
当時の征夷大将軍から
今の愛国国家神道に至る
国家レベルでの異論を許さない、
日本式デマサポカルトの価値観なんか
同調圧力以外何者でもない
狂気、ファシズム、ナチスそのものだ
→歴史上、初めて「主権在民」となった日本国憲法をもって、現在の日本ができたと言える。
文化的、あるいは風土的には、
→縄文時代から既に日本だ。多くの日本人はそう感じている。
だから大和朝廷が作った体制をもって「日本」とするのは違和感がある。
だから>>70が妥当。
「卑弥呼」って無茶苦茶嫌な漢字の付け方だよな
自分の子には使わんだろ
親が名付けたわけじゃないよ
いわゆる通称でしょ
つまり自分らで「ワ」と名乗っていたはず
それが倭と書いてヤマトと訓むようになった
ということはヤマトが自分らを示す漢字として倭を使ったということ
我、輪、環のどれかだな
大国主はスサノオの子孫で天照大神の親族
神武天皇は天照の子孫で長髄彦(ナガスネヒコ)の上司の饒速日命は神武天皇の同族
だから彼らもまた神宝を持ち合わせていた
北条や信長は平氏の子孫
武田や家康は源氏の子孫で共に皇族血を引いている
多くの朝鮮人の帰化は秦氏の時でこれは当時朝鮮半島で虐げられていた秦氏を救済するためのもので応神天皇の時に実施
日本書紀に詳細あり
またその母親である神功皇后は三韓征伐で朝鮮半島南部を支配した
また卑弥呼はその時の女官で高官であったが魏の国に軍を要請してクーデターを企てたので調停に殺された
実際に魏の国の使者が日本についたときには既に卑弥呼は墓に埋められていた
これが卑弥呼の名前が日本書紀にのっていない理由
しかし日本書紀ではその時期を明記している
卑弥呼 詐称説は本居宣長
>またその母親である神功皇后は三韓征伐で朝鮮半島南部を支配した
>また卑弥呼はその時の女官で高官であったが魏の国に軍を要請してクーデターを企てたので調停に殺された
神功皇后は4世紀後半。
ヒミコとは時代が全然違う。
水の近くがミナト
なるほど。
間違い。山門のこと。
ほら、福岡が邪馬台国だとしたら、近くに似た地名があるだろ
肥(コマ)人が治めるクマ本って地域が
誰かさんが出て来て創作してるな。
今の釣り目・ホームベース形質の朝鮮人とはなんの関係もない。日本書紀、古事記には熊神話もない。
ホームベースと釣り目の形質は、北方蛮族から持ち込まれたものと考えると事実に合う。その蛮族の、深刻なレベルの乗っ取り(完全ではないと思う。中国文化が残りすぎてるから)が起こる前に、半島に日中どちらか、あるいは両方の血が濃い人たちがいて、その人たちと列島日本人との間で、殺し合いしたり文化の移入があったり、ってのは事実なのだろうけど。
ハングル固有語(漢字に直せないもの)を、ロシア極東民などの言語と比較すると、面白い結果が出るに違いない。