探検の歴史…世界地図の空白を埋めていった冒険家たち「前人未踏の地ってもう地球上に残ってないの?」 2ch反応まとめ
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探検
探検(たんけん、探険)とは、未知の地域へ赴いてそこを調べ、何かを探し出したり明らかにする行為のことであり、一般には危険を伴うものとされる。探険の文字を使う場合、危険を冒すという意味合いが強くなる。踏査、検分などが類義語として挙げられる。
引用・出典:
Wikipedia – 探検
平城天皇の第一皇子。真言僧として出家し、天竺を目指すが、その途中羅越
国で流砂に飲み込まれて死亡したとされる。
羅越国については、ラオスないしはマレー半島とする説が有力。
ただし、その場合は流砂に飲み込まれたという記述とは矛盾する。
11世紀には、マレー半島の言葉が日本に伝わっており、数詞とされていたも
のは、現代マレー語と一部対応している。
金剛三昧(9世紀)
唐代に中国へ渡り、更に中天竺まで行って帰還して来た日本人僧。
本姓や詳しい経歴は不明であるが、中天竺へ巡礼して壁画を見て来たといい、
それも二回も渡天していたという。
また、四川も訪れていたらしい。
その時代だとロシア関係が目立つね。
大黒屋と高田屋は有名だが、同じ頃には中川五郎次という人がいる。
吉村昭の「北天の星」参照。
津太夫(1744~1814年)
仙台藩の御用商人として物資を満載し江戸に向かう途中、
暴風雨に遭遇し船の転覆回避措置として帆柱を切断したため自力航行不能になり、
約半年間の漂流後、当時はまだロシア帝国領だったアリューシャン列島に漂着。
数々の苦難の末、シベリアで出会った日本人の案内でシベリアを横断して首都ペテルブルグに到着、
帰国を切望する津太夫ら四名は外交使節として日本に向かうロシア特使とともに
北海⇒カナリア諸島⇒マゼラン海峡⇒ハワイ島を経て日本に帰還することができた。
上記の通り、本朝初の地球を一周した人物ながら、教科書にも載らず、人物伝すら知られない人物。
尾張の人。13歳の時、江戸へ向かう船が遠州灘で遭難。
388日間漂流した末、14人が3人となって、現在のアメリカ合衆国ワシントン州に漂着。
原住民に売り飛ばされた後、モリソン号に乗って帰国しようとするも叶わず。
明治を目前に、帰国を望みながら亡くなった。
息子(母はマレー人)は父の遺言に従い、日本に帰化している。
なお、日本人としてはおそらく最初にロンドンの土を踏んだ人物である。
(寄港自体は津太夫一行が先)
「ゴリラ」の発見者ですね。
しかし、記録はともかくネコ2世の方が距離的には上では。
時代が下ると、鄭和なども出て来ますが。
徐福は、始皇帝本紀だと実際に航海に出たのかも疑わしい。
『アナバシス』の顛末は、探検と言ってよいのでしょうか。
ところで前の方に出た漂流の話は、探検と言うより冒険だな。
中国とミャンマーとインドの国境あたり。
登頂されちゃったみたいだね。
やっぱり深海とか地底しか残ってないのかな。
スペランカーが希望の星なのか。
やはり地球は広いな~
本来の探検・冒険はもう出来ないだろう。
あとは地底や宇宙に舞台を求めることになる。
日本のしんかいの6500mを抜かれちまったよオイ。
しんかい6500は、設計上1万メートルよりも深く潜航できる。
問題は、それが日本に1台しかない事だ。
しんかい2000も、事実上退役状態だし・・・
しんかいの方だけ安全係数の下駄を履かせて1万メートルより深く潜航できるとか
言っても意味がないような。
実用潜航深度は日本の「しんかい6500」が6500mで、中国の「蛟龍1号」が7000m。
潜水艇も必要だが、海洋調査船も日本はもっと造るべきだ。
つまるところムキになって国同士が張り合ってた時代なんだぜ。
16世紀にはスペインvsポルトガル
18世紀にはイギリスvsフランス
で、21世紀には日本vs中国というのは言いすぎか
シャカリキに頑張れば勝てる可能性はあるが、
クールな無関心さはでは中国の後塵を拝する未来が確定。
登山は探検と言うより冒険ぽいが、みなさんはどう区分するかな?
たった400㌧かそこらのちっぽけな帆船で、
発見また発見の大航海を3度もやったキャプテン・クックを見習え。
。
あと、逆転の発想だよ。
それやったのがコロンブス。
パウリスタ衆がさんざん遠征して先住民狩りしてたろ
まあ彼らも案内者に頼って他部分はあるしちょっとくらいは
未踏の地があるのかな、と。
やっぱり衛星とかある現代じゃ全部探検し尽くされたのかな。
>>42
未開部族が踏破してそうな気もするけどw
まあ世間に認知されてない土地はまだ残ってればいいな。
>やっぱり衛星とかある現代じゃ全部探検し尽くされたのかな。
人工衛星の時代になり、夜の地球が観測されるようになると
アマゾンやアフリカ、東南アジアの長らく人跡未踏と言われていた密林地帯に
無数の明かり(焚き火)が映し出されるようになったそうだ。
そもそも20世紀半ば、飛行機が飛来して初めて接触した部族も居るし。
イリアンジャジャの部族の老人は飛行機から人が降りてくるのを見るまでそれを「大きな鳥」だと思ってたそうだ。
まだ人類が誰も到達していない湖が地球上にある。
たぶん人類が火星に降り立つ時代になっても、
この湖の探検は手付かずじゃないかな。
驚くべき生態系があったりするのかもね。
興味ある。
手つかずと言うよりも、手がつけられないんだよね。
ボストーク湖の環境を汚染するのが怖いから。
だから、ボストーク湖の”湖面”に達する直前で
掘削を中止しているはず。
日本の”ドームふじ”での氷床ボーリングも、基盤岩の直前で
掘削を中止していると言う話。
トイレの話と”ナニ”の話がほとんど出てこない事について。
特に”ナニ”に関しては、第1次隊の”ベンテンさん”の話と、
不肖宮嶋氏がダッチワイフを持ちこんだ話、ぐらいしかないんだよね。
その名はカイラス。チベットにあり、標高6500mくらい。
全山が氷雪に覆われ、氷河を従え、頂上付近まで登ろうとすれば高山病に苦しむ
という山だ。しかし、それ以上に強力なシステムにより、難攻不落を誇る。
チベット仏教徒はこの山を世界の中心にある山と言う。
数年前登山計画を発表した連中がいたが、世界中から圧力を受けて、登山を行えるどころか
計画段階で登山は中止されてしまった。
未来永劫人類が絶頂を極めることは不可能であろう。
たしか5600か5800ぐらいまで 普通に行けるから
こっそり登った奴はいると思うんだけどな。
最近西チベットにガリ空港ができたからアクセス良くなったよ。
しかし、こっそり登ると
公に自慢できないんだよね。
wikiによるとミラレバという吟遊詩人が登った伝説はあるみたい。
ちなみに、あの山はチベットの聖山でチベット仏教徒の聖地であるだけでなく
チベット好きのバックパッカーの最終目標地。今年ガリ(アリ)空港ができるまではラサからランドクルーザーをシェアして往復2週間ぐらいかかってたはず。
普通にいけるドルマラ峠の標高が5630メートルだから山頂まで1000メートルぐらい。
空気薄いけど、装備を整えれば単独でもなんとか行けそうな気がする。
確かに登っても自慢はできないどころか、バッシングがすごそう。
日本の恥とか言われそうだね。
聖山がらみの未踏峰はネパールのマチャプチャレが最高じゃないかな。
ポカラから見えて綺麗。切り立っててかっこいい。
「オーストラリアの牧草地に、底無し沼が点在している!」ってネタがあったが
今思うと、カルスト台地を牧草地にしてるだけだな
探検家はボートを持って奥地に入ったんだと。
結果は……全滅
実際にオーストラリアの内陸にはエーア湖があるよ。琵琶湖の10倍以上の面積がある巨大な湖。
たぶん現地の人はウソを言ったわけじゃない。
だけど乾季には干上がってしまうだよね・・・という部分が白い肌の探検家たちに
うまく伝わらなかっただけじゃないかな。
ディサポイントメント湖なんて名前つけるぐらいだし
オーストラリアを知っていたそうです。
南蛮
ヨーロッパ人は中国の南に「アジア大半島」があると想像していたが、
これはインドからおぼろげにオーストラリアの地理を聞いた証かもしれない。
ないない。
>>65
南蛮の元々の範囲は華南~ベトナムで、後には東南アジア。
現在のオーストラリアを別個の地域として認識していたわけではないから。
ありがとうございました。
「アボリジニが南蛮と呼ばれていた」は間違い。
仮に遭遇していたら南蛮人と呼ばれただろうねって話。
だから間違てるワケじゃない。
ただ、イマイチおもしろくないわ。
特に気になるのは、やっぱり東方だ。
イマエウス地方やらアスミリアン山脈・オットロコーラス山脈やらがどこ辺りなのか比定するのが楽しい。
それら地名は、一体何語でどういう意味だったんだろうな?
アフリカ南下してプトレマイオスに情報を与えられた人はいなかったんだなあ
まあ、海岸沿いじゃフェニキア人がアフリカ大陸一周したって話をヘロドトス
が載せてる。大げさな話が大好きなヘロドトスがあまり信じてないんだけど、
内容が思い出せないけど、たしか、ヘロドトスがおかしいと言ったことが、逆
に丁度当てはまるってことで、案外本当だったんじゃないかという話がある。
ちなみにゴリラの名称は、このときにフェニキア人がアフリカで見たって言う
「毛むくじゃらの人間」をそう呼んだことに由来してる。
>ヘロドトスがおかしいと言ったこと
太陽が北にあり、右手から昇ったってことだなあ。
当時でも地球丸いって知ってそうなもんだと思えるけど
ざっと検索したらアリストテレスが地球丸いって言っててヘロドトスはそれ以前だから
地球がまるいことは思いついたとしても太陽が北に行くとか右手から昇るとかは想像付かなかったのだろうか。
ゴリラの目撃報告、太陽の話からフェニキア人のアフリカ周航はホントっぽい感じ
ヘロドトスならむしろエジプトの冒険好きな若者たちがナイルをさかのぼってみた話が面白い
たしかワニのいる巨大な湿地までいったらしいから、スーダン南部まで到達ってことか
ゴリラを見たという、フェニキア人のハンノの記録じゃ、湾の中に島があって、
その島の中に湖があって、さらにその中の島に「女が毛むくじゃらの野蛮人」
がいたということになってる。現地の人間がそれを「ゴリラ」と言ったと言う
だけで、現在言う所の「ゴリラ」かは分からない。ひょっとすると現地人を
ゴリラと言ったのかもしれないし、ボノボのような種だったかもしれないし、
絶滅種の可能性もあれば、単なる法螺話なのかもしれない。
逃げ回るのを何人か捕らえることができたくらいだから、現在のゴリラとは
言いがたいかもな。
ただ、その記録から、今のゴリラをそう名づけただけ。
暴れたんで殺したのか
あれはナイジェリアあたりのメスゴリラという説もある
良く見たら南極大陸の陸地まで到達できなかったんだね。
まあ、それでもすごい探検だったと思うけど
確かに密林へ入るなら馬は不適だが、アフリカにはサバンナだってある。
ワシャワシャとしか聞こえないアフリカの地名を聞き取れなかったとしても不思議ではないな。
最初に到達したのは“本当は”誰でいつ頃なんだろうか?
そして南半球の高緯度の海域は強風で海は物凄く荒れる。丸木をくりぬいたような
船じゃすぐに沈むし、仮に沈まなくても凍死か餓死を迎えるまで南極のまわりを
回り続けるだけじゃね。
回るだけじゃなくて、ちょっと右に舵を取って辿り着ければ死ななくて済むだろ。
食糧は現地に豊富にあるんだし♪
そもそも、ヤーガン人は一年中暴風の吹き荒れる氷原のパタゴニア高原を
わざわざ越えてまでして最果ての地まで辿り着いたのでしょうね。
近代以前であそこまで過酷な環境に定住した民族って他に無いでしょうね。
彼らに出会ったヨーロッパの探険家たちはみなびっくり。
って思ったらそれがヤーガン族だったのだなあ
なぜヨーロッパ人が出会ったフエゴ島の
ヤーガンたちが半裸で暮らしていたか。
きっと、人体の耐寒性を高めて、さらに寒い
南極に移住する準備をするための適応キャンプ
だったに違いない。
彼らこれ以上に進化すると
もしかして三角形みたいな感じに薄くなるんでしょうかww
何の本で読んだかもう忘れた話なんだが、
「船の近くに先住民の女がいたんだが、ほぼ全裸の状態で
ハンカチ大の毛皮を風の向きに合わせて移動させるだけだった」
とか言うのが書いてあったな。
>ハンカチ大の毛皮を風の向きに合わせて移動させるだけだった
随分と小さい人だね、身長20センチぐらいか?
でも地球の裏側の島にたどり着いて目にしたものは半裸または全裸の美女たち。
船員たちの喜びは想像に難くない。生きててヨカッタ。
(出典元:http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/whis/1284172512)
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