中世日本の食事と料理のあれこれ「醤油とか味噌汁とかの歴史とか結構わかってないから面白い」 2ch反応まとめ
2ちゃんねるまとめっと座禅 / なんJ・VIPまとめ / エンタメと趣味 / テレビ・芸能 / トレンド / ニュース速報 / ライフハック / 学問 / 文化・サブカル / 料理 / 料理と食文化 / 日本の食文化 / 日本史 / 暮らしと生活 / 歴史 / 民族学 / 漫画・アニメ / 珍味・ゲテモノ / 考古学 / 調味料・香辛料・保存食 / 軍事 / 雑談スレまとめ / 面白ネタまとめ
戦国時代
日本の戦国時代(せんごくじだい)は、日本の歴史(にほんのれきし)において、15世紀末から16世紀末にかけて戦乱が頻発した時代区分である。
世情の不安定化によって室町幕府の権威が低下したことに伴って守護大名に代わって全国各地に戦国大名が台頭した。領国内の土地や人を一円支配(一元的な支配)する傾向を強めるとともに、領土拡大のため他の大名と戦闘を行うようになった。こうした戦国大名による強固な領国支配体制を大名領国制という。
引用・出典:
Wikipedia – 戦国時代
信長のシェフ
『信長のシェフ』(のぶながのシェフ)は、西村ミツル・梶川卓郎による日本の漫画。
およびそれを実写ドラマ化した作品。漫画は芳文社『週刊漫画TIMES』にて、2011年3月18日号から不定期連載中である。なお10巻までは西村ミツル原作・梶川卓郎作画であったが、11巻以降は梶川卓郎が全て担当しており、西村ミツルは11・12巻のみ料理監修を行い。その後は手を退いている。
料理人ケンは、永禄11年(1568年)の戦国時代にタイムスリップし記憶を失っていた。間者と思われ斬り殺されそうになり、川へ飛び込んで逃げた瀕死のケンを助けたのは、夏という女性の刀鍛冶であった。
自分自身については過去はおろか、本名すら思い出せないケンであったが、料理の技法や料理に関連する記憶だけは残っていた。
この時代に存在しない調理法による料理を売り出し、京の都で評判になったケンを、織田信長は自分の料理頭に取り立てた…
引用・出典:
Wikipedia – 戦国時代
(動画引用・出典:Youtubeチャンネル「grandtoit」- 「よみがえる戦国の宴」より https://goo.gl/HBCjb6)
現代の料理人がタイムスリップして、織田信長に仕えたという
「信長のシェフ」が大人気!!
これにちなんで、戦国時代の食文化を議論しよう!!
あれ、どこかで日に3食の風習は江戸時代に入ってからと聞いた覚えが。
戦国期は通常2食、戦争時3食+夜食ではなかったか。
どのみち油が貴重品だったので炒め物、揚げ物が出来ない。
この時点で現代人の口には合わないだろうね。
思いつきで書くと家康が中ったといわれる鯛のテンプラ
現代人は鯛の鮮度とか寄生虫に思考が行くけど、油が古かったのではと今思った。
しかし日本料理は中国韓国の料理と全然違うな
麻婆豆腐とかカニ玉とかエビチリとかビビンバとか北京ダックとか、
全然日本に輸入されなかった
>>13
和食・中華食の間で違うメニューばかりを挙げているから
しかも近世に産まれたメニューばかり(文化交流が盛んだった宋までを無視)
炊飯、里芋の煮物、煮豆など、共通するメニューを除外するのは、
意図的にやっているのか?
改良に改良を重ねて原型を留めなくなってくる
そして、新しいもの好きだから他の地域のものも取り入れて
戦国時代以降は欧米とその植民地の食文化も大量に入ってきた事で
益々中国料理とはかけ離れた
中国じゃ豚肉や牛肉は食べられていたと言う
それでいう4つ足は牛と馬のことで豚は関係ない。
日本では古来から牛や馬は神聖な動物ともされていたことや
牛頭馬頭思想もあってそうなっていったんでは?とも言われている。
なんで牛や馬以外は案外と食べられていたらしいよ。
庶民は仏僧等からの、布教から広まった精進料理が発展したのでは?
戦国時代はよく分からない
とりあえず、松茸とか鯛とかは昔から高級品であったようだが
鯛を珍重するようになったのは江戸時代だな。戦国期の高級魚は鯉
みんな酒だけ飲んでる
寿司は江戸時代に普及したから、ふな寿司こそ寿司の古典かもしれん
当時と同じ手法で作った「醍醐のしずく」という酒があるが飲んでみたいもんだ
信長のシェフ
三方が原で多くの家臣を失い意気消沈の家康
ここでシェフが「コンソメスープ」を家康に飲ませて、家康は元気100倍となった
地方では肉食忌避の風習が昭和40年代ぐらいまで残っていたし
それに井伊家なんかは牛肉の味噌漬けを作って売りさばいてたらしいじゃん
友達から鍋借りて豚鍋したら、臭いがとれないと文句言われたのは
どれもこれも食い物といったら湯漬けしか出てこない
あれでよく戦国武者はクソ重い甲冑背負って戦えたもんだ
それとも夜は獣肉喰いまくってたのかな?
魚や鴨や鶴とかは割と食べてたみたいだけど
ただ百姓や雑兵の類いは米に味噌や塩だけとか
行商から購入した僅かな干物や漬物位しか口には出来なかった様だ
>>30
>>31
米や味噌だけど、
その量が半端じゃない。
もちろん長期戦で足りなくなって来る事もあるけど、
一日で玄米五合食うレベル。
大豆自体が貴重だから雑兵は戦さでもなければ味噌は食えない。
普段は塩汁、糠味噌汁。
大量の玄米と味噌で補給する。
末端の兵達には一度に米を配給すると直ぐに酒(濁酒)にしてしまうから
面倒でも一食分ずつ小分けして配れって言われてたけどな
なので実際は米を大食い出来る機会は戦に勝った後だけだった
多少餓えてる方が略奪にも身が入るしな
>>32
干鯛って美味しいのかな?聞いたことないがw
夏の陣で干鯛食って豊臣を滅ぼしたから、
翌年に鯛の天ぷらが当たったのか? すごい縁だなw
タイは身が締まって脂が少ないから
干物にすればカチカチになって日が経っても酸化する脂が少なく保存が利くんだよ
いま考えた説だけど
>>36
それに近い事を海原雄山が言ってた。
もちろん美食対決だから
山岡さんがそれに近いの持って来て
だから食えたモンじゃないってな(実際は旨かった)
ついでに言うと、大久保彦左衛門が病床の井伊直政を見舞った時に
鰹節の欠片を持って行ったと言う逸話がある
鰹節は栄養価の高い機能的な戦場食だったから
実際に病気見舞いと
ともに鰹節をしゃぶって戦場を駆け回った仲の懐旧と
立身出世していいモン食い過ぎたんだろうと言う
彦佐らしい皮肉もあったのでは。
鯛より鮭の方が高級だったかもしれないな
産地が限定されてるって事もあるかな。
鎌倉殿の好物ってのでも有名だけど
豊臣秀吉が毛利輝元を歓待した時も
地理的に毛利には珍しい鮭を使ったのは
秀吉らしいやり方と言われてる
江戸中期には村上藩で放流が始まったし
戦国時代にも佐竹家中で鮭を巡って配下の額田氏と石神氏が戦になったという逸話もあるし
相当に高価のものであったようだ