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雑兵足軽の実状「日当が米5~6合」「戦国時代のフリーター」「まさに傭兵って感じ」 2chまとめ

 
658:2009/08/09(日) 16:27:40 ID:Y833o2dA

長柄足軽=営業・歩合制

弓・鉄砲足軽=経理・月給制

みたいなポジションだったんじゃないの?
んで、弓の名手とか鉄砲の名手とかは日当はずんでもらったんじゃないか?

 

659:2009/08/09(日) 16:51:23 ID:NlTMtKLB
つーか足軽って基本的には戦ごとの契約傭兵だろ。
江戸期に入って足軽も含めた武士が城下に居住するようになって、
農村から分離しただけで(兵農分離)

 

661:2009/08/09(日) 17:20:40 ID:OKfWfBl4
首を取るのは白兵戦力である徒歩武士の仕事でしょ
従者も主人の武士をアシストするのが主で、
名も無き兵卒が兜首を取って大出世なんてあまり無いよ

 

662:2009/08/09(日) 17:38:39 ID:/ytkF/Hc

>>661
たとえば、4人編成で、
従者は弓で主人を補助するというのであれば
わかるけどね。
主人が恩賞もらえばおこぼれもあるだろう。

大河ドラマの功名が辻はそんな感じぽい
シーンがあったな。

ただ、弓隊編成された部隊の場合はどうなるんだろうな。

 

663:2009/08/09(日) 18:00:04 ID:NlTMtKLB
戦国期は家にもよるが、例えば武田家あたりじゃ、軍役分の足軽を武田家が一括で集めて、
部隊編成していたそうだ。
この場合恩賞などの判断は、足軽運用の責任者である足軽大将にあるんじゃないかな?

 

664:2009/08/09(日) 18:01:22 ID:Iv9qhxZP
射手の練兵には時間がかかったから、被害が少ないように大事にされていたはず。
鉄砲が重宝されたのも、弓と違って練兵が容易だったせいもあるし。
したがって、弓が扱える=それなりに優遇されてたんじゃないかなぁ

 


665:2009/08/09(日) 18:03:15 ID:CyEWu/V0
足軽の恩賞ってのは組頭の差配じゃないの。
上位者からお前(の部隊)は、こんだけ仕事したから、これだけ恩賞やる。
後は揉めない様に分けろ的な。
個人の裁量に寄るやり方だから記録にも残らないとか。

 

666:2009/08/09(日) 19:05:15 ID:7wdwyJDJ

 

671:2009/08/10(月) 14:30:29 ID:AraMBlrv

>>666
TPOで勲功の評価に違いがあったわけで、一概にこうだった、といいきれないだけじゃない?

”狙撃”も盛んに行われたので、その場合は個人の勲功(名前が記録される)が残ってるけど
関ヶ原の黒田家の島左近狙撃(菅和泉以下百の部隊)の場合、
左肘左脇乗馬3カ所に弾が命中、その勲功はた菅和泉ののものになってるけど
たぶん参加者全員評価されてたはず(不満が出てないから)

現在の会社組織だってプロジェクトの成功ボーナスはその責任者が分配する(各人を査定する)し
昔も今もそこらは変わってないと思うけどね


 

679:2009/08/11(火) 05:55:49 ID:Gk7ap0wp
足軽って最初は重装だったのが、時代が下がるにつれどんどん軽装になっていって、
戦国末期の頃には、もはや鎧も着けずに羽織だけ、なんてのまで結構いたらしいね。

 

682:2009/08/11(火) 07:44:28 ID:/s527mnt
>>679
戦国末期じゃなくて安土桃山末期じゃねえの?

 

680:2009/08/11(火) 06:38:00 ID:1Q4ODt6D
それ膳城素肌攻めの話じゃあるまいな。

 


681:2009/08/11(火) 07:11:39 ID:JAMobdiK
長谷堂城の戦いを書いた絵では
上杉側の鉄砲隊は鎧を着けてない
http://samidare.jp/yoshiaki/box/hasedo-2.jpg
左上に上杉鉄砲隊

 

683:2009/08/11(火) 13:57:10 ID:12hj8Plm
時代というより勢力や地域に因るんじゃないのか。
千葉氏配下の酒井氏の足軽も装備は粗末な竹の鎧に竹槍だったそうだし。

 

685:2009/08/11(火) 14:24:22 ID:12hj8Plm
北条からのお叱り状に同様のことが明記されてる。

 

686:2009/08/11(火) 14:34:39 ID:GD9f0ypb
その頃の東国じゃ足軽なんて主力じゃなかったんじゃない?

 

687:2009/08/11(火) 14:36:50 ID:Gk7ap0wp
足軽は関東のほうが本場だろ

 

688:2009/08/11(火) 14:50:35 ID:GD9f0ypb
本場に仕立てたのは北条と武田と上杉の三強だろう。

 

689:2009/08/11(火) 14:52:40 ID:JAMobdiK
違う 太田道潅

 

690:2009/08/11(火) 14:58:42 ID:GD9f0ypb
なにッ!!詳しく教えてください。

 

693:2009/08/11(火) 15:36:21 ID:nbddqK5P

>>690
京都の悪党が戦場で槍働きするために陣狩りして従軍したのが足軽の始まり。
雇われ傭兵であり戦時中に集まってくるだけで、主従関係にはなかった。
また、戦場で一翼を担ってはいたがまだまだ主戦力には及ばず
戦力の補強程度の意味合いしかなかったが、一騎打ちが主流の武士の戦に対し
集団戦で勝負をつけ、負けそうならすぐに逃げるので無視できない戦力になっていった。


関東でも足軽は従軍していたが、組織立っての用兵には至っていなかった。
太田道潅は足軽に着目し、江戸城築城後城内での練兵に勤しみ
後の長尾景春の乱の時には道潅の采配で見事に乱を鎮めた。

たしかこんなかんじ

 

723:2009/08/14(金) 02:46:27 ID:rQ+YnwWL
>>693
一騎打ち以外に関してはだいたいあってるな

 


691:2009/08/11(火) 15:17:35 ID:nbddqK5P
大田道潅以来足軽が本格編成されたんだっけ?

 

692:2009/08/11(火) 15:28:38 ID:Gk7ap0wp
それまでゲリラ的な役割で使われていた足軽を、初めて組織化して合戦に投入したのが太田道灌だとか。

 

694:2009/08/11(火) 16:06:59 ID:52M31gWu
道灌の「足軽」はどちらかというと「徒侍」の意の様に感じられる

 

695:2009/08/11(火) 16:21:58 ID:PrbhV8RA
傭兵(足軽)を正規軍に組み込んだのが道灌

 

696:2009/08/11(火) 16:23:59 ID:Gk7ap0wp
太田道灌に関しては、「傭兵隊長」という見方をしている人もいるな。

 

697:2009/08/11(火) 16:38:52 ID:52M31gWu
兵科ごとに編成された足軽では無いんだろうな

 

699:2009/08/11(火) 17:49:10 ID:vESdwvUZ

>>697
”備”の観点から見れば、弓組は道灌の時代にも一般的だったんじゃない?

弓専用の荷物も多いし、まとめて運用てのは室町から行われてたし

 


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