雑兵足軽の実状「日当が米5~6合」「戦国時代のフリーター」「まさに傭兵って感じ」 2ch反応まとめ
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戦国時代
日本の戦国時代(せんごくじだい)は、日本の歴史(にほんのれきし)において、15世紀末から16世紀末にかけて戦乱が頻発した時代区分である。
世情の不安定化によって室町幕府の権威が低下したことに伴って守護大名に代わって全国各地に戦国大名が台頭した。領国内の土地や人を一円支配(一元的な支配)する傾向を強めるとともに、領土拡大のため他の大名と戦闘を行うようになった。こうした戦国大名による強固な領国支配体制を大名領国制という。
引用・出典:
Wikipedia – 戦国時代
足軽(あしがる)は、平安時代から江戸時代の日本に存在した歩兵の一種
発生は平安時代とされ、検非違使の雑用役・戦闘予備員として従軍した「下部」が足軽の原型とされる。鎌倉時代中期頃まで、騎馬武者による一騎討ちを原則としたことから、足軽は従者や運搬などの兵站や土木作業に従事させられることが多かった。
南北朝時代に悪党の活動が活発化し下克上の風潮が流行すると、伝統的な戦闘形態は個人戦から集団戦へと変化し始め、足軽の活躍の場は土一揆・国一揆にも広まった。
応仁の乱では足軽集団が奇襲戦力として利用されたが、足軽は忠誠心に乏しく無秩序でしばしば暴徒化し、多くの社寺、商店等が軒を連ねる京都に跋扈し暴行・略奪をほしいままにすることもあった。
引用・出典:
Wikipedia – 足軽)
武士じゃなく雑兵で。
30年戦争時の傭兵団みたいだw
勝ち戦なら強盗、恩賞もらえる。
負けそうになったら一目散に逃げる。
これだろ。
逆。農民を最下級の武士に取り立てて一領具足というステータスを与えた。
通常の農民動員兵と違い、自主性や積極性が見られる。
そのことは後の浦戸一揆や山内家の対応などからも窺える。
当の足軽達の忠誠心が特徴的だったという見解と、
後世の書物で有名になっただけという見解を見たことがあるなあ。
今より稀薄だったかもしれないがその地域を支配してる支配者と土地を同一視してたのじゃないか?
だから最下層の足軽が「われらが親分」と言う気持ちで忠誠が高かったんじゃないのかな?
「一所懸命」という言葉が有るくらいだからな。
ただし、村の欠け落ちとかもあるくらいだから一概には言えないんじゃないか?
村の生活を保障してくれればこそ、支配者が忠誠の対象になると思うが。
禁止したのは自国内の略奪だけどな
武田軍は略奪しまくりだったのかな?
親分にどやされなが、陣作り。
交替で見張りやりなが、ちんちろりん。
兵士当て込んで来る。行商人の物売りの声。
タバコ屋から買ったタバコを煙管で回し吸い。
お茶や酒の行商人を捜し回る。
こんな感じ
最初にして唯一の打ち首対象者乙
>>29は処刑だな。
それとも江戸時代の俗説?
だと思う。
長篠後の武田勢の弱さ。
謙信没後の越後勢を考えたら、そう感じる。
現代でもグルカ兵の評判が良い事などからして個々の戦闘力よりも多くは兵士としてのメンタル面を指してると思われ。
勝てば略奪し放題だしな
と言っても実際戦う人間なんて全体の3~5割程度だけどね
軍板の話では、実際たたかったったり、共闘した旧日本軍人のじいさん達は、
はっきり弱いと言ってたみたいだから。
数年前テレビで「グルカ兵は足腰が丈夫で上の者に従順だから集団行動させやすい」とイギリス人士官が語っていた。
ネパールでの生活環境自体貧しくて厳しいから過酷な作戦任務でも不平不満が出にくいのだろう。
兵の全体的な資質、性質的な物なんじゃね?
戦国期でも、上の命令に忠実に従い勝手に崩れたり浮き足立ったりしないというのが評価の対象に
なるんじゃないかね。
個々の徴集兵に強弱があるとすれば装備と編成と指揮する者に起因するような。
尾張兵についても三河駿河美濃伊勢といった隣国と互角以上に渡り合ってる事跡から見て特別
劣っていたとは思えない。