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戦国時代の兵農分離|織田信長が常備軍をつくったって本当なの?「信長はイメージと違って保守的」

 

兵農分離

兵農分離(へいのうぶんり)は、日本史における用語の一つで、戦国時代から江戸時代にかけて推し進められた、武士階級とそれ以外の階級との身分的分離政策を指す。

江戸時代には、江戸幕府が国政を管掌する途上において、武士と他の階級を明確に区別し、武士を最上位に置く体制を確立した。

戦国時代を扱ったコンピューターゲーム等では徴兵制や古代ローマの職業軍人制と類似した制度として扱われているが、史実では内容も目的もそれら2つとは大きく異なる。

引用・出典:
Wikipedia – 兵農分離

 

1: 2010/02/28(日) 15:03:30 ID:ceoZUbIS
信長は「兵農分離」を進めて常備軍を作ったとか本に書かれてるけど、本当だろうか?

6: 2010/02/28(日) 19:39:00 ID:1erh9Mts
>>1
本当。だから戦国の世で頭一つ抜きん出た。
武田みたいに農閑期しか戦えない軍隊じゃあ勝てないよ。

 

3: 月孔雀 2010/02/28(日) 16:11:44 ID:C+O3qxX5
常備軍、さすが、信長さん。

 

5: 2010/02/28(日) 18:26:50 ID:T3EeA+Ty
信長はむしろ遅れている方

 

7: 2010/02/28(日) 20:02:25 ID:Vw5HDT+r
ただし、「金と命が大事」な兵だから
敗色をみると簡単に逃げ出す。
合戦をみると当たり負けが結構多い。

 

9: 2010/02/28(日) 21:20:29 ID:T3EeA+Ty
> 池上裕子著「織豊政権と江戸幕府」より
>
> 「(佐久間盛信への)折檻状から読み取れるように、信長自身は所領の大きさに比例して、
> 家臣一人ずつの軍役数を定めると言う方法をとっていない。家臣をどれだけ抱えるかは
> 各自に任されていた。
> これは鎌倉・室町期の武士たちの有り方と類似で、北条・武田らが所領貫高に比例して
> 軍役数を決定した方法といちじるしい対照を成す。
> 従って武篇道と戦果が問題となる。
>
> (中略)
>
> 信長は信盛親子に続いて、家老の林通勝(秀貞)、安藤守就親子、丹羽右近も追放した。
> それは信長の権力強化の表れのようにも見える。これをもって中世の武家権力と違って、
> 信長が家臣の所領に対し干渉しているとか、領域統治能力を問うているとかと評価して、
> 信長の権力は新しいとみる見方もあるがいかがであろうか。
>
> 信長は家臣を大名に任じて分国を統治させ、各方面ごとの総大将を任命して統一戦争を
> 戦っていかなければならない。
> 拡大する家臣団と支配領域に対応した家臣団編成、軍役賦課・軍事力編成が
> なされていないからこそ生じた問題であろう。
> それを武篇道の督励で対応しようとしたのが追放策であろう。
> それは、信長自身が武篇道に邁進して土地支配制度と知行制の整備を怠ってきたことに
> 原因があるのであって、逆に信長の限界を示すべきものとみるべきであろう。
>
> この問題の解決は秀吉の課題となる。」

 

10: 2010/02/28(日) 22:17:18 ID:dvtTqF9i
>>9
それで北条・武田の動員兵力は単独で織田以上出すことが出来るのかw
そんなきちきちに決めなければならないほど織田家は兵に困っていたわけではないw

 

16: 2010/03/01(月) 12:16:53 ID:9mkGAgai
最近>>9のような北条・武田は石高に応じて兵役を決めたから革新的
織田はむしろ遅れていたと主張するのが流行ってるらしいね
実際は後進地域が少しでも周りの勢力に対抗するための必要に迫られた
制度だったんだろう

 

19: 2010/03/04(木) 02:20:41 ID:xIWFpWTY

>>16
信長のやったことは鎌倉室町と変わらぬ旧態依然としたものであり、北条や武田のやったことは
そこからの脱却を明らかに志向した上、近世に引き継がれた。

時代からの脱却を志した側と旧態依然とした慣習の中に安穏としていた側、
どちらが先進的か馬鹿でも解るだろうに。

 


21: 2010/03/04(木) 07:34:54 ID:QAuncT2w
>>19
北条も武田もその制度や政治、軍制を徳川が参考にしてその手本となり
後世に引き継がれたわけだから、いいものを残せばやはり残るわけだ

 

51: 2011/09/09(金) 00:31:40.75 ID:Q4gMti3q
>>9
この本読んだけど、全然ダメだった。

 

52: 2011/09/09(金) 03:43:47.50 ID:/yAKlicF
>>51
どうダメだった?

 

53: 2011/09/11(日) 23:04:11.32 ID:cNLoH+v9
>>52
・もし信長が生きててもあれ以上の事はやらなかっただろうと勝手に断定し、「信長の限界(>>9)」などと言う
・理由も語らず安土宗論をインチキ呼ばわり
・相変わらず残酷で厳しい信長、優しい秀吉というイメージで物事を語る
・それでいて朝鮮出兵では「朝鮮侵略での秀吉の残虐行為」という項を設ける
・朝鮮の地名のルビが朝鮮語。慶尚道は「けいしょうどう」ではなく「キョンサンド」。どうでもいいが
・家康が各大名を弾圧しまくった件についてはほぼスルー

 

54: 2011/09/13(火) 01:32:57.39 ID:fJ4YLXZt
>>53
そりゃお前の読み方が全然ダメだわwお前が予断で読み過ぎてるだけの話

 

63: 2012/01/28(土) 00:24:18.92 ID:xJWJMxCI

>>62
> 折檻状から読み取れるように、信長自身は所領の大きさに比例して、
> 家臣一人ずつの軍役数を定めると言う方法をとっていない。家臣をどれだけ抱えるかは
> 各自に任されていた。

とあるが、その折檻状で信盛を「俸禄に応じて家臣をちゃんと召抱えていない」と書かれている。
よって君の言う「ろくに兵力指示すら出来ず」は間違い。
また信長は領内全てで道路工事をしている。
よって「領内整備もろくにしてない適当体制」というのも間違い。

 


64: 2012/01/28(土) 00:45:06.62 ID:n82zEiCO

>>63
そっちのほうこそ間違いw
折檻状においては「せっかく俸禄与えても譜代家臣の俸禄揚げたり、人を養わないで、自分の蓄財増やすだけ。
それで結局面目を失うような事態になった」とけなしてる。
つまり、ここで問題になってるのは「手柄を上げられず面目を失った事」であって
「人を雇わなかったことじゃない」のねwww
文章みればわかるはずなのにワロスww

それから「領内すべてで道路工事」てどこの世界の話ですかww
むしろ領内全域から見ればやったところのほうが少ないわww
ためしにやったというところあげてみなww
てかろくに裁判も出来ずに、「俺の指示受けろ」といいつつ指示出さなくて
困った挙句代官が現地に丸投げしてる適当体制がなんだっていうんだかww

 

11: 2010/02/28(日) 22:33:10 ID:g1lD5vug
武田、北条が細かい兵役を定めたのは貧しい地域で少しでも多くの兵士を集めるための苦肉の策だったのかな

 

12: 2010/03/01(月) 02:44:44 ID:CygL7hyG
努力して兵を集めても織田には及ばないということか?

 

20: 2010/03/04(木) 02:35:10 ID:x4HrHviJ

信玄みたいに勝つたんびに自分家戻ってたら
時間がいくらあっても足りない。
天下統一のためになによりもスピードを最優先した。
時間を金で解決した…と、見るべきだと思うがな。


信長は土地支配だの知行だのという土臭いのより
ホリエモンのような考えだったと俺は見てる。

 

22: 2010/03/04(木) 12:34:02 ID:KwlEP3lM
>>20
スピードを最優先か
信長がわずかの時間の間に大きな勢力になれた理由ってなんなんだろうね

 

23: 2010/03/04(木) 18:50:23 ID:PrHjosDb
>>20
武田の甲府も信虎の代に領内の中心として移転されたもの。
信玄時代に領土が4~5国程になった時もその中心だったので移転の必要がなかった。
信長も他の大名と同様に戦いの度に律儀に岐阜城に戻ってる。
安土も広がった領内の中心地という事で他大名と似た感じの選択地だった。

 

24: 2010/03/04(木) 18:53:19 ID:GAwa9TFu
合理性と、単純に図抜けて戦が上手かったから。かね。

 


25: 2010/03/04(木) 20:08:35 ID:xIWFpWTY

戦が上手いってのは信長に対する典型的な誤解だな。信長は確かに武闘派だが
ポカやミスが多く決して戦上手とは言えない。

信長の真骨頂は寝技の政略だ。信長の政略の上手さは確かに群雄の中で抜きん出ている。

 

26: 2010/03/05(金) 00:09:45 ID:CJPkoFEb
政略こそポカしてるだろ浅井とか越前とか本願寺とか義秋とか、
最後は反乱で死んでるし

 

27: 2010/03/05(金) 01:33:15 ID:gADJ/bfz
お金集めが得意だった

 

28: 2010/03/07(日) 14:54:12 ID:PV5WOt27

武田信虎は、常備軍というか金で雇った用兵集団・新参の召抱え集団を
持っていたよ。
「御意の足衆」と呼ばれていたとか。


もっともこれは、二代続けて内紛で、軍の主力(最も戦闘力の高い)が
消耗していての止むを得ない処置だったみたいだが。

 

29: 2010/03/07(日) 17:46:44 ID:JvY1ukIw
戦国の世に常備軍なんて超非効率的なことは
普通やらないからね

 

30: 2010/03/10(水) 00:59:11 ID:c98VN3nn

傭兵を大量動員して戦い続けたなんてのは
応仁の乱でもあるわけで
別に特別な発想ではない

むしろ農兵を大量動員し始めたことが
戦乱の世を一気に進展させ戦国大名が生まれていった


 

31: 2010/03/10(水) 01:00:07 ID:c98VN3nn
信長のスピーディな領土拡大は
むしろモンゴル帝国などと同じで
あえて征服地の制度をそのまま残すことで統治コストを減らしたことにある

 

32: 2010/03/10(水) 06:05:52 ID:8bDAVWSX
なるほど

 

34: 2010/12/12(日) 03:11:44 ID:oqQqk+j+

戦国時代に常備軍ってのはないな。

兵農分離での効果は、
1.年貢納入責任者を絞り込むことで、それ以外の農民なら農繁期でも徴兵&長期出兵しやすくなった
2.武士階級を農業から切り離し、領地経営や政務従事、守衛業務等に専念させることで、
やはり農繁期の出兵がしやすくなった
ってとこだろう。

2を以て常備軍とは言えない。
備における武士階級の割合はたかが知れてるからな。
分割相続を禁止し、家臣の嫡男以外の者を小姓衆として召抱え、
親衛隊を組織するぐらいのことは可能だろうが、
常備「軍」と呼べるほど大規模なものではないし、
それは兵農分離前でもそれなりに可能だし。

 

36: 2011/02/21(月) 04:02:03.58 ID:8m2BbT/E

そもそも「兵農分離」という現象は江戸期のもので戦国時代には起きていない

戦国時代は「兵農一致」だ

 

37: 2011/02/21(月) 04:58:00.38 ID:8cBnTsZP
信長が兵農分離を進めて、農繁期でも攻めまくりとかいつ頃生まれた伝説なんだろ?

 


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