地名の世界史…地名の由来を民族史的に語るスレ「ロンドンの由来はケルト語で”川のあるところ”という意味」…2chまとめ
2ちゃんねるまとめっと座禅 / なんJ・VIPまとめ / エンタメと趣味 / ライフハック / 不思議・オカルト / 哲学 / 学問 / 旅行 / 民族学 / 神話・伝承 / 考古学 / 都市伝説 / 雑談スレまとめ / 面白ネタまとめ
地名
地名(ちめい)とは、一般的には、特定の地点や区域に対して付けられる固有の名称である。しかし厳密には、3次元座標を特定し得る地表を有する天体の、人間が認識可能な特定箇所に対して付けられる固有の名称である。
地表があって詳細な観測の可能な既知の天体では、天体の大きさの違いに関わりなく、学術的注目に適う密度で何らかの地名が付けられている(翻って言えば、注目度が上がらない限り付けられない)。新発見の天体で前述の諸条件が揃うようであれば、ただちにではないにしても、全ての特定地点や特定範囲を座標のみで表すわけにはいかないのが道理であり、自然発生的に、あるいは計画的に、地名が考え出される。地球型惑星(地球、火星、金星、水星)[* 1]や衛星(月、エウロパなど)[* 2]だけでなく、小惑星のような小天体にも地名は付けられている場合があり、20箇所近くの地名が付けられている小惑星イトカワなどは好例であろう[* 3]。
また、地表が存在せず、ガスを主成分とする木星型惑星の場合、通常的にいう「地名」に当たる固有名称は用いられない。
しかしながら、このような天体には数十年・数百年もの長きにわたって固定されたように位置の変わらない特定“地点”がいくつか存在するのであり、このような“地点”に付けられた固有名称を「地名」と呼ぶ捉え方の下では、これらの天体にも地名は付けられている、ということになる。なお、太陽の場合は、その表面に長く存在し続ける特定“地点”は生まれないため、この天体に地名が付けられることは無い。
引用・出典:
Wikipedia – 地名
(動画引用・出典:Youtubeチャンネル「あなたの知らないかもしれない世界」より – https://www.youtube.com/watch?v=-eKkGuAL2Mc
「岸辺の小舟」っていう詩的な名前の都市がブレジネフ市に
改名されてロシアのインテリが怒ったという話がある
ちなみに今は元のナーベレジヌイェ・チェルヌイ市に戻ってる
Londinium → Lundenwic → London
ま、愛姉弟でも愛姉妹でも愛兄弟でもいいんだけど
パリのラテン語名ルテティアLutetiaは、ラテン語lutus(泥、沼地)から来ている。
ガリア系パリッシー族の拠点で、セーヌ川のほとりの渡し場にあったことから。
ブリテン (Britain) はウェールズ語の Ynys Prydein(ブリテンの島)に由来し、
これはQケルト語の Cruithne のアイルランド語での語 Cruithen-tuath(ピクト人の土地)の
Pケルト語での異音である。元になっているスコットランド/アイルランドの単語は cruth、
ウェールズ語では pryd で「姿形 (form)」を意味する。つまりブリテンとは「姿形の人々」を意味し、
刺青をしていた民族を指している。ローマではそれをピクト人 (Picti) と呼び「描かれた」を意味する。
このような語源の考察が正しいなら、ピュテアスがPケルト語の言葉を持ち帰ったということになり、
アイルランドを訪れていないか、Qケルト語を話すアイルランドの原住民と話をしていないことになる。
また当時既にウェールズ祖語がブリテン各地で使われており、ケルト語派は既に分裂していたことになる。
興味深い
「小さい方のブリテン」もあり、これは現在のフランスのブルーターニュ地方。
キエフ・ルーシを小ロシア、モスクワ・ルーシを大ロシアと呼び、
チベットの中央部を小チベット、東部を大チベットと呼ぶ。
これは面積や繁栄の大小ではなく、本土が「小」で辺境が「大」なのである。
ブリタニア属州の住民・ブリトン人が、アングロサクソンに追われて逃げ込んだアルモリカ半島は、
フランク人からブルターニュ(ブリトン人の地)と呼ばれ、その対岸の島は「グラン・ブルターニュ」と呼ばれた。
なのでグレートブリテンとは、本来は「辺境の方のブルターニュ」という意味。
>これは面積や繁栄の大小ではなく、本土が「小」で辺境が「大」なのである。
これはなんで?
「小」は「狭義の」ってこったろ
漢字圏でも琉球は大琉球が沖縄で小琉球が台湾だぞ
「新しい町」という意味
いうんだってな。ルーマニア人の母体となったヴラフ人が語源らしいが。。。
ドイツをフランス語でアルマーニ(語源アレマン人)と言ったり、
デンマーク語でチュシュクランド(語源はドイツと同じ)、
ロシア、英語、イタリアではゲルマニアが語源、ロシア語以外のスラブ諸語では
ネムスカだったり。なぜイタリア語はロマンス語なのにアルマーニじゃ
ないのだろう。なぜロシアはスラブ系言語なのにネムスカじゃないんだろう。
なぜイタリアはスラブ諸語でイタリアなのに、ポーランドだけヴラフ人が
語源なのだろう。
これは po(~に沿って) + morze(海) で海沿いの土地という意味
ウェールズWaels、ワロンWalon、ヴラフVlachやワラキアWalachiaはここから来ている。
ポーランド人はゲルマン人を介してイタリアをWlochyと呼ぶようになり、マジャル語でもOlaszと呼んだ。
のちゲルマン系諸族は「ローマ化」していき、walhaという呼び方は「野蛮だ」というんで廃れたが、
ポーランド語やマジャル語にはなぜか古い語彙が残ったらしい。
イタリア語やルーマニア語でドイツをゲルマニアと呼ぶのは、古来ラテン語でそう呼んでいたから。
アレマンからアレマーニュと呼ぶのは、フランク人がそう呼んだのが広まった。
ロシア語でも、ドイツという国は「西欧風に」ゲルマニヤと呼ぶが、ドイツ人やドイツ語は今もネムツキーと呼ぶ。
信じちゃっていいの?
ためになるね
バルセロナとは「バルカの家」の意。
ラテン語名「カルタゴ・ノヴァ(新しいカルタゴ)」が訛ったもの。
しかしカルタゴはフェニキア語名「カルト・ハダシュト(新しい町)」がラテン語で訛ったもの。
なのでカルタゴ・ノヴァだと、フェニキア人からしたら「ニュー新町」って感じの地名になってしまう。
どうもバルカ家が町を建設した当時は「カルト・ハダシュト」だったので、
もとのカルタゴと区別するためローマ人が「ノヴァ」をつけたらしい。
プエル・トリコではなくてプエルト・リコ
キリマン・ジャロではなくてキリマ・ンジャロ
コス・タリカではなくてコスタ・リカ
ラプ・ラタではなくてラ・プラタ
クアラルン・プールではなくてクアラ・ルンプール
ハノ・イではなくてハ・ノイ
ペンシル・バニアではなくてペン・シルバニア
スリジャヤワルダナ・プラコッテではなくてスリ・ジャヤワルダナプラ・コーッテ
ついでに地名じゃないけど
ドンキ・ホーテではなくてドン・キホーテ
カメ・ハメハではなくてカ・メハメハ
ジャンバル・ジャンではなくてジャン・バルジャン
ペレスト・ロイカではなくてペレ・ストロイカ
ペレ+ストロイカじゃね?
「ペ・レストロイカ」では?
スレ違いですまん。
半分くらいは知ってたが
半分くらいは知らんかった
トリコロールなんかも言葉の意味知らないとトリコ・ロールだと思ったりするよな
ローマ人はこの地をエボラクム(Eboracum)と呼んだが、
これはケルト系先住民ブリトン人の言葉で「イチイの木(ebor)がある所(akon)」を意味する。
後から来たアングロサクソン人は、この地名を訛ってエォフォルウィク(Eoforwic)と発音し、
彼らの言語で「イノシシ(eofor)がいる村(wic)」という意味だろうと考えた。
またデーン人がやってきてこの辺を占領すると、さらに訛ってヨルヴィーク(Jorvik)となり、
「イノシシ(jor)のいる入り江(vik)」という意味だろうと考えた。
これが訛ってヨーク(York)という形になったのは13世紀以後で、
その後もYerk、Yarke、Yourkeなど、いろんな綴りで書かれた。
社会主義時代に付けられた名前なのに、社会主義政権が崩壊した今でも使われてる。
ウランバートルはさらに「赤い冒頓」といってもいい
バートル←バガードル←ボクトツ
ちなみに冒頓単于は今なおモンゴルで尊敬されていて、国主催で即位2200年周年記念のイベントとかやったとか
そして、近くの(といっても日本人の感覚からすれば遠いが)ウラン・ウデ「赤いウデ川」には
未だ巨大なレーニンの頭があるのとは関連ないのかな <赤は社会主義
同じように社会主義と関係ない地名である可能性はないの?
でも、ウランバートルという名が付けられたのはモンゴル人民共和国が成立した年と同じだし、
旧称のフレーは全く語源が違うから(こっちは移動単位を意味するクリエンが変化したもの)、
普通に社会主義を意味する「赤」としか考えられないと思うよ。
ウィキペディア情報だけど、現在ロシア語で「赤」を意味する「クラスナヤ」は、
古代スラヴ語では「美しい」を意味したらしく、原義は単に「美しい広場」ということらしい。
土地を均す(平らにする)のナラから来てる説もあるが、他で使われていないので
賛否が分かれるところ。
ちなみに百済をクダラ(クンナラ)と読むのはクンは大きいという意味があるから。
古代に来朝した百済人は自らを大国と自称したことによる。
ちなみに百済をクダラと読ませるのは日本だけ。
当の韓国ではペクチェという。
新羅の方はシルラだが、日本ではシラギという。
この用法では憎しみを込めた意味になるという。
百済と新羅の扱い方が日本ではここまで違うのは
白村江の戦いに起因することが大いに関係しているのだろう。
んなこたない
俺の出身地は小字を「奈良原」といい、戦国の頃に山を崩して沢を埋めて開墾したらしい
古代だとなんて読むの?
楢崎、楢原など「楢」のつく地名も開墾地の可能性有り
ビッグバンは韓国を中心にして起きた
この文字は戦車に軍旗を立て(幹)、都市の周囲を巡り守る(韋)ことを意味する。
周が殷を滅ぼしたのち、今の北京あたりに姫姓の韓氏を封建した。
しばらくして燕国が封建されると、韓氏は燕に仕えて名族となったが、
燕が朝鮮半島に進出すると多くの韓氏が移住植民し、半島南部の土着民である真番と混血した。
彼らは韓人と自称するようになり、その居住地も韓と呼ばれるようになっていった。
西暦44年、初めて「韓人」の蘇馬是が楽浪郡に朝貢したので、
後漢の光武帝は彼を「漢廉斯邑君」に封じ、韓人諸部族の対外代表に任じて自治と交易を任せた。
これは10数年後に金印を授かった「漢委(倭)奴国王」や、郡県化される前の朝鮮国王と同じ役割。
区分けはあったと思うんだけど、クレタ島とかはヨーロッパとアジア、
どちらの区分に入るのだろう。19世紀末までクレタはオスマン治下だったけど、
その頃のクレタはヨーロッパとアジアどちらの所属だったのだろう。
「フェニキア人がヘラス(ギリシア)の都市アルゴスに来て、王女イオを連れ去った。
その後、クレタ島のギリシア人がフェニキアの都市テュロスに来て、王女エウロペを連れ去った」
一応クレタ島はアナトリア半島の西端より西に位置し、ヨーロッパとするにやぶさかでない。
オスマン帝国はヨーロッパ・アジア・アフリカにまたがる帝国であり、全部アジアでまとめることはない。
ローマ帝国を「ヨーロッパ(だけ)の国」とするなら、シリアやアルジェリアがヨーロッパであったことになる。
問題はキプロス。今はギリシア系住民の国でEUにすら加盟しているが、
トルコ系住民が北キプロスを建てており、どちらともつかない。
十字軍に由来するそうだけど、今更そんな過去の遺物、しかもよそ者の付けた名前を持ち続けなくてもいいと思うけど。しかもレフコシアより歴史も浅いみたいだし。
別にニコシアでもリューコシアやロイコジアでもイギリス人やドイツ人が覚える労力に大差はないと思うけど