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三毛別羆事件とかいう史上最悪のヒグマ事件「クマ『女の肉は最高や!』妊婦『頭から食ってクレメンス…!』」「復讐に人生を捧げた生き残りの少年もスゴい」 2ch三毛別羆事件まとめ

 

三毛別羆事件

三毛別事件(さんけべつひぐまじけん)とは、1915年(大正4年)12月9日から12月14日にかけて、北海道苫前郡苫前村三毛別(現:苫前町三渓)六線沢[注釈 1]で発生した、クマの獣害としては日本史上最悪の被害を出した事件。六線沢熊害事件(ろくせんさわゆうがいじけん)、苫前羆事件(とままえひぐまじけん)、苫前三毛別事件(とままえさんけべつじけん)とも呼ばれる。

エゾヒグマが数度にわたり民家を襲い、開拓民7名が死亡、3名が重傷を負った。事件を受けて討伐隊が組織され、問題の熊が射殺されたことで事態は終息した。

事件の現場となった北海道三毛別六線沢は、日本海の沿岸から内陸へ30kmほど入った地区である。地名の「三毛別」は、アイヌ語で「川下へ流しだす川」を意味する「サンケ・ペツ」に由来する[注釈 2]。なお、六線沢の住民は東北などから移住してきた人々で、元々住んでいた人はいない。

ヒグマを仕留めた山本兵吉はその後もマタギとして山野を駆け回り、1950年に92歳で亡くなった。彼の孫によると、生涯で倒したヒグマは300頭を超えるという。

引用・出典:
Wikipedia – 三毛別羆事件

(動画引用・出典:Youtubeチャンネル「世にも恐ろしい事件」より – https://www.youtube.com/embed/398ghHWTcws )
(動画引用・出典:Youtubeチャンネル「ぼんちゃん」より – https://www.youtube.com/embed/3tCfS-_8UrU )
(動画引用・出典:Youtubeチャンネル「ランキング・ダイナマイト」より – https://www.youtube.com/embed/RAvfzfXMxx4 )

ヒグマ

ヒグマ(羆、緋熊、樋熊、学名:Ursus arctos)はクマ科に属する哺乳類である。ホッキョクグマと並びクマ科では最大の体長を誇る。また、日本に生息する陸棲哺乳類(草食獣を含む)でも最大の種である。

学名はUrsus arctos(ウルスス・アルクトス)。Ursusはラテン語でクマ、arctosはギリシャ語でクマを意味するἄρκτοςをラテン化したものである。

食性は雑食だが、同じクマ科のツキノワグマに比べると肉食の傾向が大きい。シカやイノシシ、ネズミなどの大小哺乳類、サケやマスなどの魚類、果実などを主に食べる。


トラやオオカミなど、他の肉食獣が殺した獲物を盗むことも近年の研究で明らかとなった。まれに人を食することもあり、1度でも人を食べたヒグマは求めて人間を襲う傾向があり、きわめて危険である[8]。

引用・出典:
Wikipedia – ヒグマ

1: 2018/02/15(木)20:43:09 ID:YHt
初めてwiki読んだけど怖いンゴねぇ

2: 2018/02/15(木)20:43:20 ID:vVi
ワイもあの時おったで

3: 2018/02/15(木)20:43:41 ID:YHt
>>2
成仏してクレメンス

9: 2018/02/15(木)20:45:22 ID:WMR
現地にいた生存者ってまだおるん?

11: 2018/02/15(木)20:46:13 ID:BYg
ヒグマとかいう怯えさせると生き残るため襲ってきて大抵殺す鬼畜

6: 2018/02/15(木)20:44:48 ID:vVi
やはり、おなごの肉は最高や


2000: 2018/02/15(木)20:43:09
旭川の陸軍第7師団から歩兵第28連隊が事態収拾のために投入される運びとなり、将兵30名が出動した[注釈 6]。一方、ヒグマは村人不在の家々を荒らし回っていた。飼われていた鶏を食い殺し、味噌や鰊漬けなどの保存食を荒らし、さらに、服や寝具などをずたずたにしていた。中でも特徴的なのは、女が使っていた枕や、温めて湯たんぽ代りに用いる石などに異様なほどの執着を示していた点だった。三毛別川右岸の8軒がこの被害に遭ったが、ヒグマの発見には至らなかった[9]。

しかし、その暴れぶりからもヒグマの行動は慎重さを欠き始めていた。味を占めた獲物が見つからず、昼間であるにもかかわらず大胆に人家に踏み込むなど警戒心が薄れていた。そして、行動域がだんだんと下流まで伸び、発見される危険性の高まりを認識できていなかった。菅隊長は氷橋を防衛線とし、ここに撃ち手を配置し警戒に当てた。

(中略)猛吹雪に、5kmの下り道を1時間半かけてヒグマの死骸は三毛別青年会館に運ばれた。雨竜郡から来たアイヌの夫婦は、「このヒグマは数日前に雨竜で女を食害した獣だ」と語り、証拠に腹から赤い肌着の切れ端が出ると言った。あるマタギは、「旭川でやはり女を食ったヒグマならば、肉色の脚絆が見つかる」と言った。山本兵吉は、「このヒグマが天塩で飯場の女を食い殺し、三人のマタギに追われていた奴に違いない」と述べた。解剖が始まり胃を開くと、中から赤い布、肉色の脚絆、そして阿部マユが着用していたぶどう色の脚絆が、絡んだ頭髪とともに見つかり、皆は悲しみを顕にした。


執着心が強い

事件はこの定説を裏付けている。トウモロコシを何度も狙っている点や、以前に複数の女を食い殺した[24]ヒグマが三毛別でも女の衣類などに異常な執着を示している点からも確認できる[25]。また、阿部マユを食害した際に食べ残しを雪に隠したこと[26]、太田家に何度も出没したこと[27]なども同じヒグマの特性による。その一方で馬への被害は皆無だった[28]。また、このヒグマは女や幼い男の子の肉の味を覚えてしまったことも原因である。

逃げるものを追う

明景ヤヨらが九死に一生を得た理由は、ヒグマが逃げるオドに気を取られたためである。このように、たとえ捕食中であってもヒグマは逃避するものを反射的に追ってしまう傾向にある[29]。

死んだふりは無意味

明景家の惨劇において、気絶し無防備に横たわる明景ヒサノと、結果的には助からなかったが胎児はヒグマに攻撃されなかった。これは、ヒグマが動かないものを襲わないというわけではなく、その時にただ単に他に食べ物があっただけと考えられる[30]。

他にも、ヒサノは女だがまだ幼く、ヒグマは大人の女の肉を好んだ可能性もある。事実、妊婦を襲ってはいるが、胎児は襲わなかった。

14: 2018/02/15(木)20:47:30 ID:uUR
妊婦「頭から食ってクレメンス…」

16: 2018/02/15(木)20:47:55 ID:yNV
>>14
お腹破らないでやぞ

2000: 2018/02/15(木)20:43:09
明景家の惨劇

その頃、明景家には明景安太郎の妻・ヤヨ(当時34歳)、長男・力蔵(りきぞう、当時10歳)、次男・勇次郎(ゆうじろう、当時8歳)、長女・ヒサノ(当時6歳)、三男・金蔵(きんぞう、当時3歳)、四男・梅吉(うめきち、当時1歳)の6人と、斉藤家から避難していたタケ、巌、春義の3人、そして要吉の合計10人(タケの胎児を含めると11人)がいた[5]。

前日の太田家の騒動を受け、避難した女や子供らは火を焚きつつおびえながら過ごしていた。護衛は近隣に食事に出かけ、さらに太田家へのヒグマ再出没の報を受けて出動していたため、男手として残っていたのは要吉だけで、主人の安太郎は所用で鬼鹿村へ出掛けており不在だった。太田家から逃れたヒグマは、まさにこの守りのいない状態の明景家に向かっていた。

太田家からヒグマが消えてから20分と経たない[5]午後8時50分頃、ヤヨが背中に梅吉を背負いながら討伐隊の夜食を準備していると、地響きとともに窓を破って黒い塊が侵入して来た。ヤヨは「誰が何したぁ!」と声を上げたが、返ってくる言葉は無い。その正体は、見たこともない巨大なヒグマだった

かぼちゃを煮る囲炉裏の大鍋がひっくり返されて炎は消え、混乱の中でランプなどの灯りも消え、家の中は暗闇となった。

ヤヨは屋外へ逃げようとしたが、恐怖のためにすがりついてきた勇次郎に足元を取られてよろけてしまう。

そこへヒグマが襲いかかり、背負っていた梅吉に噛みついた後、3人を手元に引きずり込み、ヤヨの頭部をかじった。だが、直後にヒグマは逃げようと戸口に走っていく要吉に気を取られて母子を離したため、ヤヨはこの隙に勇次郎と梅吉を連れて脱出した。

ヒグマは金蔵と春義を一撃で撲殺し、さらに巌に噛みついた。

この時、野菜置き場に隠れていたタケがむしろから顔を出してしまい、それに気付いたヒグマは彼女にも襲いかかった。居間に引きずり出されたタケは、「腹破らんでくれ!」「のど喰って殺して!」と胎児の命乞いをしたが、上半身から食われ始めた[6]。

12: 2018/02/15(木)20:46:37 ID:yNV
三毛別の舞台になった村に家よりでかいクマの像があるけどほんとにあんなデカかったのか


7: 2018/02/15(木)20:45:18 ID:tAe

17: 2018/02/15(木)20:48:21 ID:0oe
ヒグマドン

13: 2018/02/15(木)20:46:51 ID:YHt
>>7
これコラよな?
あきらかに縮尺おかしいで

15: 2018/02/15(木)20:47:41 ID:tAe
>>13
ググって出た奴やから分からん、すまンゴ

2000: 2018/02/15(木)20:43:09
熊風

事件は、冬眠に失敗したいわゆる「穴持たず」が、空腹に凶暴性を増し引き起こした例と思われていた。しかし、その後同じケースの事件は発生しておらず、近年ではこの説には多くの疑問が呈されている

ヒグマは金毛を交えた黒褐色の雄で、重さ340kg、身の丈2.7mにも及び、胸間から背中にかけて「袈裟懸け」といわれる弓状の白斑を交えた大物であった。

推定7 – 8歳と見られ、頭部の金毛は針のように固く、体に比べ頭部が異常に大きかった。これほど特徴のある熊を誰も見たことがないという[14]。

隊員たちは怒りや恨みを爆発させ、棒で殴る者、蹴りつけ踏みつける者など様々だった。やがて誰ともなく万歳を叫びだし、討伐隊200人の声がこだました。

終わってみると12日からの三日間で投入された討伐隊員はのべ600人、アイヌ犬10頭以上、導入された鉄砲は60丁にのぼる未曾有の討伐劇であった[15]。

ヒグマの死骸は人々が引きずって農道まで下ろされ、馬ぞりに積まれた。しかし馬が暴れて言うことを聞かず、仕方なく大人数でそりを引き始めた。すると、にわかに空が曇り雪が降り始めた[15]。

事件発生からこの三日間は晴天が続いていたのだが、雪は激しい吹雪に変わり[2- 1]そりを引く一行を激しく打った。言い伝えによればクマを殺すと空が荒れるという。この天候急変を、村人たちは「熊風」と呼んで語り継いだ[16]。

21: 2018/02/15(木)20:50:22 ID:yNV
一撃で撲殺されるパッパほんと無能

23: 2018/02/15(木)20:51:44 ID:mh0
画像検索したらグロ画像出てきたやんけ

24: 2018/02/15(木)20:52:31 ID:Ckk
事件の生き残りの少年がその後マタギになって熊を殺しまくって
70回忌の式典の演説中に亡くなったんだんゴね

39: 2018/02/15(木)20:59:56 ID:q12
>>24
呪いかな?


2000: 2018/02/15(木)20:43:09
その後
事態は解決しても、村人に心理的恐怖を残した。村外を頼れる者は早々に六線沢を去ったが、多くはそのようなつてを持っていなかった。(中略)六線沢は、ひとりまたひとりと村を去り、下流の辻家を除いて最終的に集落は無人の地に帰した。

ヒグマを仕留めた山本兵吉はその後もマタギとして山野を駆け回り、1950年に92歳で亡くなった。彼の孫によると、生涯で倒したヒグマは300頭を超えるという。

区長の大川与三吉の息子・大川春義(おおかわ はるよし、当時7歳)は、その後名うてのヒグマ撃ちとなった。これは、犠牲者ひとりにつき10頭のヒグマを仕留めるという誓いによるもので、62年をかけ102頭を数えたところで引退し、亡くなった村人を鎮魂する「熊害慰霊碑」を三渓(旧三毛別)の三渓神社に建立した。また春義の息子・高義も同じく猟師となり、1980年には、父・春義も追跡していた体重500kgという大ヒグマ「北海太郎」を8年がかりの追跡の末に仕留めている。さらにその5年後には、他のハンターと2人で、体重350kgの熊「渓谷の次郎」も仕留めている。

大川春義

大川 春義(おおかわ はるよし、1909年[1]〈明治42年[※ 1]〉 – 1985年〈昭和60年〉12月9日)は、日本の猟師(マタギ)。

北海道苫前郡苫前村三毛別(後の苫前町三渓)出身。獣害史最大の惨劇といわれた三毛別羆事件(1915年〈大正4年〉12月)の数少ない目撃者の1人[1]。同事件の犠牲者の仇を討つため猟師となり、生涯にヒグマを100頭以上仕留めてヒグマ狩猟の名人と呼ばれるとともに、北海道内のヒグマによる獣害防止に貢献した[3]。

三毛別羆事件は、エゾヒグマの襲撃により三毛別の住民7名が死亡した事件である[※ 2]。大川は屯田兵として入植した事件当時の三毛別区長の大川与三吉の息子であり[※ 3]、事件中に自宅が事件対策本部となっていたことから、この事件の一部始終を見聞していた[3]。事件終息後に彼は、父から猟師となってヒグマを仕留めることを薦められた。子供ながらヒグマを強く憎んだ彼は、犠牲者たち7人の位牌の前で、犠牲者1人につきヒグマ10頭、計70頭を仕留めて仇を討つことを誓った[1]。

当時の大川家には、アイヌの猟師が山での狩猟を終えた後、買物に立ち寄ることが多かった。少年期の大川は、この猟師たちにヒグマの生態や狩猟の知識を教わって育った[1]。三毛別羆事件のヒグマを仕留めたマタギである山本兵吉にも師事した[6]。

1985年12月9日、三毛別羆事件の70回忌の法要が行なわれた。大川は町立三渓小学校 (のちに廃校) の講演の壇上に立ち、「えー、みなさん……」と話し始めると同時に倒れ、同日に死去した。大川は酒も煙草もやらずに、当日も朝から三平汁を3杯平らげ、健康そのもののはずであった。その大川が事件の仇討ちとしてヒグマを狩り続けた末、事件同日に急死したことに、周囲の人々は因縁を感じずにはいられなかったという[1]。


引用・出典:
wikipedia – 大川春義

74: 2018/02/15(木)21:51:51 ID:dO8
ワンダーフォーゲル部「ふーん」

75: 2018/02/15(木)21:53:03 ID:YHt
>>74
個人的には三毛別の方がインパクト強かったけどな

76: 2018/02/15(木)21:56:46 ID:JVj
ワンダーフォーゲルは大学生が犠牲者だけど三毛別は赤子も犠牲になってるからインパクトは違うだろうな

77: 2018/02/15(木)21:59:28 ID:YHt
>>76
自己責任の登山と一方的に民家襲われるのも同情心が違うしな

4: 2018/02/15(木)20:44:02 ID:68o
福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件も読むといいぞ~

10: 2018/02/15(木)20:45:53 ID:YHt
>>4
三毛別の関連項目であったから読んだで
これも悲惨ンゴねぇ
喰われた学生の記録がリアルすぎてガクブルや

18: 2018/02/15(木)20:49:25 ID:YHt
外人の少女が電話しながら喰われた話も怖いンゴねぇ

20: 2018/02/15(木)20:49:50 ID:68o
>>18
ロシアやったっけ


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1件の返信

  1. 福岡大学ワンダーフォーゲル部のヒグマ事件も現代的で恐ろしいけど、

    三毛別ヒグマ事件は開拓民の集落というトコもあって伝記的な恐ろしさがあるンゴねぇ・・・

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