ヒグマの驚異スレ…福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件の悲劇「クマなんか全身筋肉みたいなもんやで」 2ch反応まとめ
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福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件
福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件(ふくおかだいがくワンダーフォーゲルぶヒグマじけん)とは、1970年(昭和45年)7月に北海道日高郡静内町(現・新ひだか町静内高見)の日高山脈のカムイエクウチカウシ山で発生した獣害事件。若い雌のヒグマが登山中の福岡大学のワンダーフォーゲル同好会(現在はワンダーフォーゲル部に昇格)会員を襲い、死者3名を出した。
福岡大学ワンダーフォーゲル同好会ヒグマ襲撃事件、福岡大学ワンゲル部員日高山系遭難事件とも呼ばれる。
福岡大学ワンダーフォーゲル部のA(リーダー、20歳)、B(サブリーダー、22歳)、C(19歳)、D(19歳)、E(18歳)の5人は7月12日午前9時、博多駅から列車で出発し14日に新得駅へ到着した。午後2時半、彼らは芽室岳へ入山した。そのまま芽室岳からペテガリ岳へ日高山脈を縦走する計画だった。
ヒグマ
ヒグマ(羆、緋熊、樋熊、学名:Ursus arctos)はクマ科に属する哺乳類である。ホッキョクグマと並びクマ科では最大の体長を誇る。また、日本に生息する陸棲哺乳類(草食獣を含む)でも最大の種である。
学名はUrsus arctos(ウルスス・アルクトス)。Ursusはラテン語でクマ、arctosはギリシャ語でクマを意味するἄρκτοςをラテン化したものである。
食性は雑食だが、同じクマ科のツキノワグマに比べると肉食の傾向が大きい。シカやイノシシ、ネズミなどの大小哺乳類、サケやマスなどの魚類、果実などを主に食べる。
トラやオオカミなど、他の肉食獣が殺した獲物を盗むことも近年の研究で明らかとなった。まれに人を食することもあり、1度でも人を食べたヒグマは求めて人間を襲う傾向があり、きわめて危険である[8]。
引用・出典:
Wikipedia – ヒグマ
福大生はヒグマの習性とか知らんからしゃーない
貴重な食料を食われると困るメンバーは、ラジオのボリュームを最大にしさらに火を点火、また食器をガンガン打ち鳴らしてヒグマを追い払った。
その隙にキスリングを回収し、その夜はテントの中で眠ることになった。
疲れ果てて眠っていた彼らだったが、テントの外から妙に荒い獣の息遣いが聞こえて目を覚ました。
そう、先ほどのヒグマが戻ってきたのである。
ヒグマはテントに一撃を加え、拳大の穴を開けて去っていった。
さすがに肝を冷やしたメンバーはその後2時間交代で見張りを立てることとなった。
その夜はヒグマが現れることはなかった。
その夜は…。
26日の朝を迎えたが、見張りを立てているあいだもメンバーの誰もがヒグマの恐怖に怯え、眠ることなど出来なかった。
さらに、早々と荷造りをしていた彼らの前に再びヒグマが出現。
しばらくは付近をうろうろとしていたヒグマだが、ついにテントに近づいてきたのでメンバーたちは全員テントに避難。
ヒグマがテントを押し潰そうとし、5分ほどメンバーとの押し合いが続いたものの、もはや危険と判断した彼らはテントの反対側の入口から脱出し逃走。
やがてヒグマはテントを完全に押しつぶし、後は追わずにその場でキスリングの食料を漁り、貪り食っていた。
すぐに滝と河原の2名は山を下り始めた。午前5時の出来事である。
救援を呼ぶために下山中の滝たちは午前7時10分、北海道学園大学の北海岳友会のパーティ10人と遭遇。
実は岳友会のパーティも2日前にヒグマに襲われ、命からがら逃げてきたのだ。
そのため2人に対して「一緒に下山して逃げよう」と提案したが、「仲間を残して逃げれない、仲間と合流してから下りる」と拒否。
2人に折れた岳友会のパーティは食料と燃料を分けて、必ず救援隊とハンターを呼ぶことを約束して下山していった。
すぐさまキスリングを半分取り返し戻ったが、疲労がピークに達していたのか、数時間その場で眠りこけてしまった。
目を覚ましてもヒグマの気配はなく、残りのキスリングも回収して元いた稜線に引き上げた。
この途中で鳥取大ワンゲル部や中央鉄道学園のメンバーとも遭遇し、ヒグマがうろついているという情報を共有した。
壊されたテントを修理して、安全と思われる別の稜線へ移動し、そこで改めて設営した。
安堵感からか5人は夕食を食べることにしたという。
呑気に飯食ってて草
残等
しかし午後4時半、ヒグマが姿を現した。今度はさらに執拗にテントを狙っている様子だった。
またもテントから逃げ出し、その後竹末が偵察したが、ヒグマはテントから離れる様子は全くなかった。
仕方なく彼らは鳥取大のパーティに泊めてもらう方針を固める。
荷物だけでも持って行きたかったが、三度偵察してもヒグマは離れておらず、諦めるしかなかった。
そして一気に沢を下ったが、時刻は午後6時30分。辺りはすでに暗くなりつつあった。
空手も柔道も習ってねェ羆にだ

明らかに合成やん
ヒェッ
グロ
相打ちか
フェイク定期
クマって肩関節がないらしいね
それで腕をふりまわすものだから遠心力の作用で爪が肉をえぐることになる
これこのあとどうなったんや?
おかんw
そんなんええからはよ全部貼れや
ワイどこまで貼ったっけ?
はよはよはよ
これがメンバーが河原を見た最後の姿であった。
河原どこいったん?
慌てた彼らは急いで逃げ出すも、河原だけが別の方向に逃げてしまい、ヒグマは河原の方を追っていった。
そして程なく━━━━
「ギャー!」という悲鳴が聞こえ、その直後に「畜生!!」と叫びながら、足を引きずり鳥取大パーティの方面に逃げていく河原の姿があった。
これがメンバーが河原を見た最後の姿であった。
河原が襲われたことを理解してしまった竹末は必死になって鳥取大パーティの助けを呼んだ。
鳥取大パーティは事の重大さに気づき、焚き火を起こしたりホイッスルを鳴らすなどして、福岡大メンバーに自分たちの居場所を教えていた。
そして助けを求めるために、メンバーのために物資とテントはそのまま置いていき、下山していった。
メンバーはなんとか死に物狂いで合流するも、その騒乱の中で興梠がはぐれてしまった。
竹末は興梠に呼びかけるも、一度返事があっただけでそれ以降は返事もなく行方不明となってしまった。
しかし、返事をすることはできなかった。なぜなら自分のすぐ近く、20mほど下の崖にヒグマがいたのが見えたからだ。
そのため動くこともできず、返事をすることもできず、合流に失敗したのである。
竹末たち3人も鳥取大パーティの残した物資のあるカールに下りることはできず、その夜はヒグマが来ないことを祈って岩場に身を隠した。
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時代が時代だったからとか言われてるけど、他のグループはテント置いてさっさと下山してるんだよなあ
熊に関して何の知識も得られない時代じゃなかったはずだよ
ただ当の福大ワンゲル部のメンバーは何度も荷物奪い返しにいったワケやしなぁ
クマの習性について知ってる人は知ってるけど一般化はしてなかったんやろ
少なくとも彼らは知らなかった
スマホも無いしインターネッツもない、たまたまそういう山の教訓か本を読んでないとわからん時代なわけや
ケツ写真の詳細知りたいンゴ…
ケツとゲイとクマとグロにまみれて探してみたけど詳細わからんかったんや・・・すまんやで
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わざわざあんがとさん
いつの日かケツ写真についてコメくれる人が現れるのを待ってるわ