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なぜ桶狭間の戦いの後、信長の快進撃が続いたのか?「全国的にも大番狂わせ」「信長は天才だったのだよ」「濃尾平野がデカい」 2ch織田信長まとめ

 

織田信長

織田信長(おだ のぶなが)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名天下人

歴史学者の池上裕子は、同時代人による信長についての「もっとも的確でまとまった人物評」は、宣教師ルイス・フロイスのものであると述べている[199]。信長について「きわめて稀に見る優秀な人物であり、非凡の著名なカピタン(司令官)として、大いなる賢明さをもって天下を統治した者であったことは否定し得ない 」[200]とも述べたフロイスによれば、信長は次のような人物であった。

彼は中くらいの背丈で、華奢な体躯であり、ヒゲは少なく、はなはだ声は快調で、極度に戦を好み、軍事的修練にいそしみ、名誉心に富み、正義において厳格であった。彼は自らに加えられた侮辱に対しては懲罰せずにはおかなかった。いくつかの事では人情味と慈愛を示した。彼の睡眠時間は短く早朝に起床した。貪欲でなく、はなはだ決断を秘め、戦術に極めて老練で、非常に性急であり、激昂はするが、平素はそうでもなかった。彼はわずかしか、またはほとんど全く家臣の忠言に従わず、一同からきわめて畏敬されていた。

引用・出典:
Wikipedia – 織田信長

(動画引用・出典:Youtubeチャンネル「ランキング・ダイナマイト」より – https://www.youtube.com/embed/_IZas730CLk )

(動画引用・出典:Youtubeチャンネル「歴史ゆっくり紀行」より – https://www.youtube.com/embed/OsLSdFAoLtI )

1: 2014/05/21(水) 01:31:05.02
たしかに全国から見ても番狂わせの戦いだったけど、一大名が天下を取るまで
のし上がるまでの出来事とは思えない なにが他の大名と違ったんだろ?

136: 2014/09/10(水) 20:21:03.60
快進撃は美濃穫ってからでしょ。結構な年数かけてるよね美濃に

137: 2014/09/10(水) 20:57:27.89
マジレスすると快進撃は上洛後

87: 2014/06/13(金) 14:22:58.28
>>1
快進撃なってねーよ。
信長関連だとコレと武田滅亡の流れよく誤解されてるから別にいいけど。

150: 2014/09/14(日) 21:21:04.88
>>1
桶狭間→織徳同盟で遠江甲斐の緩衝地帯を設け
美濃攻めに集中し、次に京都へ洛上
あの時代天下取りを本気で考えていたのは信長だけ

247: 2014/11/09(日) 12:28:30.02
>>1
尾張を制していたから
当時、朝廷への献金額は織田家がトップじゃなかったか
今川の本領駿河なんて貧乏小国
番狂わせじゃなくて、織田家が圧倒的に優勝候補だった

2: 2014/05/21(水) 08:40:27.95
そもそも桶狭間の戦いなんて捏造

3: 2014/05/21(水) 12:30:58.84
だが乙

4: 2014/05/22(木) 01:10:43.27
まあ、桶狭間の戦いの後の美濃平定まではそこそこ時間がかかっているわけだけど

5: 2014/05/22(木) 01:16:39.29
>>4
これが結論


6: 2014/05/23(金) 06:29:31.23
地の利があったこと 政策が型破りだったこと 部下への評価が合戦での手柄重視だったこと

7: 2014/05/23(金) 11:07:12.57
表面は慇懃を装い猫を被っているが、実際は癇癪持ち・暴れん坊の徳川家康が
織田信長についたのも大きいんじゃァないの。
いつも苛立っている乱暴者の徳川家康には
血の気の多い積極果敢な織田信長の方が近寄りやすかったんじゃァないの。

お隣国の今川氏真のように
和歌も蹴鞠も剣術も筆も抜群の出来。家柄もいいと言う名門家の御曹司相手では

徳川家康、縮こまるほかにない。

   なんでも鑑定団 愛のエメラルド

8: 2014/05/23(金) 11:30:26.73
>>7
家康はいつも負け戦だらけ

織田信長にとってはかなりお荷物で直臣より大事にされず
いつも一番死にそうな先陣ばかり

9: 2014/05/23(金) 12:00:15.85
尾張へ平定したものは天下を取りやすい。
ただ、それだけのこと。

なぜならば、尾張を平定した時点で、
日本第二の平野である濃尾平野の支配が容易になる。
対抗馬の美濃は尾張に比べて地形的に一つの勢力にまとまりにくいから
美濃から尾張を征服するよりも、尾張から美濃を征服するほうが簡単だから。

日本第一の平野である関東平野は、日本の東の辺境にあるが
濃尾平野は、日本に中心部であり人口が最も多い畿内の征服が射程圏内になる。
しかも、畿内ってのは人口多いけど、地理的に複数の盆地や平野に分かれて
一つの勢力に統一されにくいので、濃尾平野の支配者にとって
容易な草刈り場となる。

そんなこんなんだから、古代から尾張は中央政権の重要な一族の直轄領になった。


古代においては、皇祖ニニギの兄のホアカリの子孫で
嫡流とされた尾張氏の支配地域。
壬申の乱のときに勝者の大海人皇子を支援した最大の勢力は尾張氏の軍で
大海人皇子側の兵力の半分は尾張氏の傘下の軍だった。

中世においては、足利幕府の中では、
足利家の分家出身の諸侯で最高家格の名門とされた
斯波氏の直轄領とされた。

近世においては、徳川幕府の中では
将軍継承権を有する徳川御三家の筆頭にあたる徳川義直の子孫の
直轄領とされた。

14: 2014/05/24(土) 10:16:13.76
>>9
平野が優位な土地と認識されたのは、まさに信長の時代以降。
それまでは天然の城壁である山に囲まれた盆地が大名の拠点に相応しかった。
奈良盆地や京都盆地がそれ。

堺や津島などの経済力に目をつけた信長秀吉家康の頃から
海運に適した平野部が重視されるようになった。
大阪や江戸がそれ。

15: 2014/05/24(土) 10:41:12.32
>>14
鉄砲が原因なんでしょうか?
どうしても狭くなる山城よりも大きく築ける平山城、さらに大きく築ける平城
となったの?(鉄砲の射程距離的に)

41: 2014/06/01(日) 20:56:27.43
>>15
戦国時代は大名たちが治水工事を積極的に行って、それまで湿地帯だった下流域も耕作地になっていた
というのがあるんでしょうかね?

345: 2015/12/26(土) 16:29:09.11
>>41
亀だけど尾張はまさにそうやって生産力を急速に増大させた土地
伊勢湾の干拓が始まって可耕面積が広がったのがちょうどこの頃
前田利家の生まれた荒子城は言うなればフロンティアの最前線

21: 2014/05/31(土) 21:10:43.91
>>14
少し違和感が
京都なんか山に囲まれてるっていっても
平野部はかなりの広さがあるし、水路も大阪湾から淀川 小倉池(当時)とあって
大阪に比べてもそこまで軍事的に有利で経済的に不利とは思えない


10: 2014/05/23(金) 12:03:53.36
もし、織田家が勃興せずに、斯波氏が尾張国の支配権を保持しつづけたのならば
斯波氏のよって天下が平定されていたのかもしれない。
事実、斯波氏は、かなり最後まで、
尾張国での権力を維持し続ける可能性があった。
そうなれば、第二次足利政権が誕生していたかもね。

11: 2014/05/23(金) 12:37:24.35
濃尾ってかなり開発が進んでたんだろ
平野部もそうだが伊勢湾を主体とした海商関連の記録もあるもんな
北陸方面なんて越後上布の取り引きにも苦労してるあとあるもんな

12: 2014/05/24(土) 00:26:30.28
大義名分が重視されていたことを考えると、位置的に京に近かったのは大きいと思う
その点では九州や東北の大名は不利といえるし

それから巧みな外交もあったと思う 相手が格上だと下手に出て貢物をし、戦力が整えば
積極的にしかけていく 面子にこだわらない信長らしいやり方

17: 2014/05/25(日) 00:07:33.62
上杉、武田と隣り合っていなかった地理的有利もある 両者が牽制しあっている間に
美濃をはじめとした地盤を固めることができた 

18: 2014/05/25(日) 10:13:52.15
信長のシェフがレーション携帯食料開発したから

19: 2014/05/26(月) 20:33:01.83
時に将軍や朝廷の権威を利用し、うまく立ち回ったから 実際は屁とも思ってなかっただろうけど

23: 2014/05/31(土) 22:00:57.45
詳しくないけど、桶狭間で今川軍を破った後、降伏兵を編入して軍を大きくしたとかじゃないの?

25: 2014/06/01(日) 00:10:19.20
仏教団体に市民が困っていたと言うな、なぜ長嶋では市民が仏教団体側についたのか。

27: 2014/06/01(日) 06:37:07.74
>>25
ごめん 不正確やったわ
長嶋だけやなくって、越前は一向一揆の国やし徳川の領地でも反乱はあったよね
と同時に仏教勢力が公道に勝手に関所を作って金を取ったり
座を設けてそこで権益を独占していたのも事実
(事実かどうか知らんけど、秀吉が針売りをしていたっていう話があるでしょ
あれは針やと手軽に持ち運べて大がかりにならず、座の締め付けが少ないから
逆に油なんかやと、座の締め付けが強く、座の許可を取らず無断で売ろうものなら
命の危険すらあった)これを大きな社会のあるべき姿から見るとやはり不自然不健全でしょ
当然個々の立場はあっても信長のやろうとした事は大局で見れば正しい事やし
そこに多くの人間の支持が集まったと考えてるの

29: 2014/06/01(日) 13:23:50.59
>>27
長島にしても越前にしても座の権益を信長が奪い取っただけなんですけど
だから庶民は本願寺側についた
信長が正義になったのは戦いに勝てたからで
正義だから勝ったのではない

28: 2014/06/01(日) 08:52:56.96
尾張→美濃→近江という先進地域かつ米持ち国を進んでいけば、
そりゃ他勢力と比べてアドバンテージ大きいわな。
個別の戦闘で負けても、何度も繰り返し兵士を動員して戦争できる体力を持てる。

32: 2014/06/01(日) 17:06:54.14
そりゃ年貢収めてたのは農民だもんなw
座とか商業の、場合は通行料なのよ
その土地を通るときに収める金銭だな

40: 2014/06/01(日) 20:02:11.08
宗教団体でさえ皆殺しにできる神経は信長ならではだったと思う 一揆制圧のために
やむなく戦った例は他の大名にもあるが、積極的ではなかったし、懐柔策を取る場合も多かった

神仏に帰依するのが当たり前の時代、そこまで冷徹になれたことは、信長が頭一つ抜きん出た
要素の一つだと思う

42: 2014/06/01(日) 21:54:47.16
>>40
ただの残酷なキチガイにしか思えませんがww

44: 2014/06/02(月) 07:00:48.84
信長、桶狭間・決戦の一本道など


58: 2014/06/07(土) 11:34:23.28
桶狭間で今川義元の首を獲ったことで、それまで信長に懐疑的だった連中が
信長を信頼するようになったってのは大きいだろうね
そうなれば元々の生産力は全国屈指の尾張
勢力を拡大させるのはそれほど難しくない

59: 2014/06/07(土) 12:29:05.14
その当時、信長に対抗できるだけの石高っていったら数は限られる?

60: 2014/06/07(土) 14:06:45.76
あくまでも目安の一つでしかないけど、慶長期の国別石高ベスト5
1位 陸奥 1,672,358石
2位 近江  775,359
3位 武蔵  667,126
4位 尾張 571,737
5位 伊勢 567,105

61: 2014/06/07(土) 14:31:00.88
織田信長は尾張と美濃の二カ国を平定した時点で
石高130万石だから。
伊勢や近江を抑えて、あっというまに200万石を突破した。

武田信玄なんて、広範囲の5か国を平定しても、山ばかりの地域だから
ギリギリ100万石だろう?

小田原の北条も関東の大半を抑えて、やっと200万石
毛利元就も晩年、九州や四国にも手を広げても170万石ぐらい。

62: 2014/06/08(日) 17:34:30.64
>>61
それ表高で実高250万石くらいある。家臣団も多いから相殺されるけど。

63: 2014/06/08(日) 20:07:27.37
石高とかみんな詳しいな

65: 2014/06/08(日) 20:25:38.88
斯波氏が尾張守護に着く前は武田氏が守護やってて斯波氏が下向するときに
鎮守府将軍、藤原利仁の一族のやつが着いてきたんだと


根っからの下克上のやつなんて秀吉以外いないな

みてりゃどいつも名門だわ

67: 2014/06/08(日) 20:28:38.22
長尾氏とか桓武平氏いらいの皇別氏族だしな

68: 2014/06/08(日) 20:36:32.07
当時は美濃あたりのほうが、東北や越後の石高より高かったってこと?
地形に恵まれていたんだな、信長は

69: 2014/06/08(日) 23:24:42.27
太閤検地といえどどのくらい正確かは正直よくわからない部分はあるけど
当時の稲作技術だと東北や越後といった寒冷地よりも尾張や美濃の方が
安定して米作りができたのは確かだろうね

70: 2014/06/09(月) 08:30:16.47
>>69
正条植えの技術が上方から関東地方に伝わったのは
天保年間だというから、関東の生産性はとても低かった

71: 2014/06/09(月) 08:32:33.76
70
そりゃそうだろ
関東ローム層とか火山灰の影響で何回、開墾し直していると思ってるんだよ

72: 2014/06/09(月) 08:35:10.95
新潟なんか米の生産は戦国以前なんか40万石だったものが
江戸時代は600万石だぞw

73: 2014/06/10(火) 09:55:45.54
新潟だけで600万じゃ豊作が続くと米が余り過ぎるw
江戸の町民て、おかず無しで米ばっか食ってたらしいけど…

76: 2014/06/12(木) 21:57:54.09
信長は美濃の大垣城や刈谷の水野領分15万石もあるので
合計70万石以上は確実にある。
普通なら信長から三河に侵攻できてもおかしくないくらいだろう。

77: 2014/06/12(木) 22:11:50.32
貧乏大名今川義元が上洛して天下に号令するって話がそもそもあり得ない
絶対に無理な話だった
金満信長にあっけなく討ち取られて当たり前

78: 2014/06/12(木) 22:27:23.91
実は越後にも天下取りには有望な地の利があった
でも残念ながら謙信には野心がなかった

80: 2014/06/13(金) 00:33:27.96
100万石って、現代の資本金に換算すると
いくらぐらいなわけ?

84: 2014/06/13(金) 05:27:11.11
本領がたった15万石なのに
25.5万石の遠江を従えて、29.1万石の三河を丸めこんで
100万石の武田、300万石の北条と三国同盟を結んでいたなんて、
義元ってすごい奴だったんじゃね?
雪斎の知略だったのかもしれないけど

86: 2014/06/13(金) 07:29:35.10
>>84
さながら
雪斎は孔明
義元は劉備
といったところだろう
いや、桶狭間前のこの二人はそれ以上の離れ業をやっている

88: 2014/06/15(日) 00:36:57.05
快進撃っていうより、どうやって台頭していったかのほうがしっくりくる


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