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【民族・神話学板】神社はどこから来たのでしょう?

神社

神社(じんじゃ・かむやしろ)とは、日本固有の宗教である神道の信仰に基づく祭祀施設[1]。産土神、天神地祇、皇室や氏族の祖神、偉人や義士などの霊などが神として祀られる[2]。文部科学省の資料では、日本全国に約8万5千の神社がある[3]。登録されていない数万の小神社を含めると、日本各地には10万社を超える神社が存在している。また、近畿各地には生国魂神社など創建が古い神社が多く存在する[4]。

神社の名称の付け方は様々である。最も一般的なのは地名によるものである[6]。

「〜坐神社」というのもある。また祭神名を冠するものも多い[7]。ほかに奉斎する氏族の名前を冠するもの[8]や祭神に関連する語句を冠するもの[9]、神社の種別を表すもの[10]・祭神の座数によるもの[11]などがある。また由来が不詳である神社名も少なくない[12]。稲荷神社や八幡宮など全国に広く分布するものは、それらの社名にさらに地名を冠することが多い[13]。

(引用・出典:Wikipedia – 神社

 

12: 2010/10/25(月) 01:25:13

>>1 神社はどこから来たのでしょう?

a.神社建築の様式がどこから来たのかということなら、神社建築史の文献をあたるべき。
b.神社という宗教施設を作ろうという発想がどこから来たのかと言うことなら、
大なり小なり宗教施設を持たない宗教はないんじゃないでしょうか。

 

117: 2011/01/18(火) 09:35:58
>>1
神社全体の構造とか酷似した名称が他の国々にもあったかどうか自分で調べてみたら?

 

318: 2015/03/16(月) 17:30:50.70
>>1
太古のえらあい人が住んだ所が起源だったりはせんの?

 

394: 2017/04/23(日) 21:43:13.11
>>318
神魂神社。
元来は出雲帝国の大王宮殿。
物部軍らの出雲進攻、平定の結果
当代(最後)のオオナムチ(所謂、大国主命)が大王宮殿を明け渡し、城下の誓い(無条件降伏)をして退去。
進駐軍の本部(戦後のGHQ本部みたいなもの)が入って戦後処理(駐屯、入植)を行った後に、
出雲の元大王家に返還を申し出たが(一度族らに汚されたのをよしとはせず)拒否されて、、、
仕方なくモニュメントととして神社を創建。
その進駐軍のトップの末裔が神主家だとか?

 

397: 2017/05/03(水) 18:28:44.27
>>394
実に興味深い

 

4: 2010/10/21(木) 18:13:51
神社として建てられたのではなく、別の目的だった建物が後に祀られるようになったのが最初の神社だと思う。
須我神社はスサノオとクシナダヒメのマイホームだったというし。

 

10: 2010/10/22(金) 19:17:37

>>6
高床式ってたしかに日本の神社と同じだ、南方起源なんだ。

でも古すぎて、日本の神社建築とは直接つながらないかな
>>4 >>5 さんの言うように日本の神社建築はそこまで古くない

 

14: 2010/10/25(月) 21:49:44
>>10
元々は神社の建っている場所もしくは後背の山なり岬だったりが御神体だったり信仰の対象だったんだから
社という建築物が無くとも神の坐す場所という概念的な意味での神社はもっと古くからあったのでは?

 

333: 2015/05/25(月) 21:51:30.90
>>14
だよな

 


5: 2010/10/21(木) 20:24:45
祭事毎に建てられてた祠が仏教寺院に対抗するように巨大化、常設化されたんでしょ。

 

7: 2010/10/22(金) 00:17:38
>>5のおっしゃる通りで。
伊勢が仏教建築の影響を受けてるって話も別に奇説ではないしね。

 

9: 2010/10/22(金) 18:34:02
>>5
だから昔の出雲大社がでかいわけだ。

 

8: 2010/10/22(金) 07:33:38
祝詞ってお経のパクリだよな。

 

13: 2010/10/25(月) 03:26:33
さっき、放送大学で 厳島神社やっていた。
明治維新での神仏分離と廃仏毀釈って、
紅衛兵の破壊なみに無茶苦茶だったらしいね。

 

15: 2010/10/26(火) 09:41:40

民俗学的定説は琉球の御嶽は日本の神社の原型だということ

琉球の御嶽は社も鳥居もご神体もない(現在ある鳥居は戦前の同化政策の一環として作られたもの)
偶像崇拝ではなく森や泉などの空間に神が降臨するもしくは宿ると考えた
ちなみに御嶽によっては御嶽の中心にイビ石といわれるご神体のようなものもあるが、
これは本来は神が降臨する場所を示す指標と考えられている
また御嶽の構造(何かをする場所の位置関係)も本土の神社の構造と相似している

本土にも古い神社ではこういった形式の神社が残っているそうだ


 

16: 2010/10/26(火) 13:02:32

>>15
>御嶽
なんかの本に東南アジアにもあるとか書いてた。

 

18: 2010/10/26(火) 16:10:52

いや、御獄それ自体はもともとは空間を聖地と認識するもので
イビ石に対する偶像崇拝ではないと考えられている(実際はされているが)

>>16
それは初耳だ。興味深い

 

19: 2010/10/26(火) 19:01:58

>>18
たぶん「沖縄民俗文化論」(湧上元雄、榕樹書林、2000)だと思う。
沖縄では戦前にノロが弾圧を受けたとかいう内容もあって、その前後に
御嶽と似たようなのが東南アジアにもあるとか書いてたと思う。
無かったらすいませんです。

今迄読んだ本のノートが山のように残ってまして、残務整理がまだでして。


 

17: 2010/10/26(火) 13:58:05

>>15
ご神体が岩って御獄そのものですよね

三輪山とかそうじゃなかった?

 

33: 2010/11/03(水) 01:33:10

>>15
御嶽(うたき)についてネットで少し調べてみたが、
ノロ(祝女 女性司祭)が管理する男子禁制の聖域で、
空間の中心にイビ石という石塚があり、神が降臨する標識とされている点、
古代の集落跡で、祖先崇拝の要素が強い点など、
塚を依代として扱うオボー信仰の要素を色濃く持っていることが分かる。

「拝み山」などと呼ばれることもあるなら、
東アジアに広く分布しているオボー信仰の一形態と見ていいだろう。

したがって、沖縄の御嶽が神社のルーツなのではなく、
オボー信仰が神道のルーツと見たほうが良い。


 

21: 2010/10/27(水) 14:14:48

福井のニソの杜は、沖縄の御嶽と同じ系統なのでしょうか?

三輪山と葉山信仰は?

 

22: 2010/10/28(木) 00:45:11

>>21
あそこらへんって、海洋系の人もいたところなんでしょ
南方起源の地名が残っているって、何かで読んだような
そうだと関係あるのかも(素人判断)

能登だったかと思って今調べたら、能登はアイヌ語起源だった。
珠洲もアイヌ語ってあるし
ダメだ忘れた

 

24: 2010/11/01(月) 19:32:50

神社が建てられる以前は、山、塚、古墳が信仰対象の中心。
これは、日本からモンゴルやチベットにかけて分布しているオボー(塚)信仰。

神々はもともと天上に住んでいて、天降りてさまざまなものに宿り、
再び天上に帰っていくとされていたので、
神社は本来神様の住まいではなく、人間が祭祀を行なうための場所として建てたもの。
その構造は高床式倉庫。

 

25: 2010/11/01(月) 22:09:41

>>24
東北にあるサークルストーンも、そのオボーっていうものなの?

恐山で石を積むの、思い出した。
あれはたしかにチベットに似ている。

 

27: 2010/11/02(火) 03:53:11
>>25
石を積むパターンもあれば、
現代に残る地鎮祭のように、砂山を築くパターンもある。

 

26: 2010/11/02(火) 00:53:49
高床式倉庫は、元々、米の貯蔵庫。
豊作に感謝して、高く積まれた米を拝むことが、稲作民たる日本人の宗教の原型。

 

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